恋する58号線。
その昔、子連れバツイチになった私は神奈川から鹿児島県の与論島に引っ越した。これはなかなかナイスな選択だった。職場も保育園もスーパーも病院もすべて車で5分以内。経済的にはラクではないが4月から10月頃まで遊べる極上のビーチが目の前という豪華さ。あっという間に子ども2人と私も真っ黒に日焼けしてトロピカルな日々がはじまった。
冬になると数週間のフリータイムになる。クリスマスから年始にかけて前夫が子供たちと過ごすので、1人で沖縄をぶらぶらしたり、各地から友達を誘き寄せたり、気ままな時間を過ごせたのだ。お金がなくなると知り合いの店で働かせてもらったり、ワーキングホリデーのような日々であった。
ある年のクリスマスイブ、ふと以前勤めていた会社の同僚たちが懐かしくなった。もう冬休みに入ったかな…?と数人に声をかけるとひとりだけ捕まった。ヲタメである。(ヲタクでメガネだから)
ヲタメと一緒に働いた時期は少ないが、なんだか変わった人であることは知っていた。どちらかと言うと苦労多き人生を送ってきたはずなのに「いま生きてるんだからオッケーですー」と笑うような人である。
私が会社にいた頃にはひたすら残業をしていて、朝会社に行くと机の下から這い出してくるような妖精っぽい存在であった。家の事情で金銭的にも困っていたようで、社内一のケチと言われた同僚がヲタメにパンをあげた!とスクープになったぐらいだ。
そのヲタメが…沖縄まで来れるんだろうか…と気を揉んでいたが、人の心配をよそにヲタメはぐんぐん近付いてくる。何ということでしょうか。あの貧乏でチャリしか乗れなかったヲタメがタクシーで乗り付けてきたぞ!
思わず大丈夫なの?と聞いたがヲタメは何が?という顔だ。私たちは本部港から伊江島へ渡る予定だったが、ヲタメはまたしてもヘイ!と言わんばかりにタクシーを止める。この人なんか悪いことしてるんじゃないかと心配になってきた。
伊江島はどろろん閻魔くんのシャッポじいみたいな形の島である。フェリーからはじめてその島影を見た時に吃驚して、いつか必ず行こうと思っていた。
とりあえず自転車を借りて島内一周しようということになったのだが、ヲタメは全然待ってくれない。38才まで独身をこじらせていただけあって、女性との体力の違いなどまるでわからないらしい。さらに生来のせっかちさが加わってグイグイ漕いでいく。
私は小さくなっていくヲタメの背中を追ううちに、動悸が高まり頭がぼーっとしてきた。何で私はこんなに必死でヲタメを追いかけているのか。心臓がバクバクする。
なんだコレ…恋か?
んなわきゃあない。吊り橋効果的なやつか?ヲタメはゴキゲンで「タッチュー(島の最高地点)登る?」と聞いてきたけどハッキリ「やだ」と断った。
しかし私の異変は続いていた。島の食堂に行っても食欲がない。恋する乙女40才だ。
その日の宿は「土の宿」という古民家だった。近くには「ヌチドゥ宝の家」という戦跡資料館がある。伊江島は「沖縄の縮図」と言われるほどの激戦地だった。今も米軍の大きな飛行場がある。
私は相変わらず食欲がなかった。夜もよく眠れなかった。何かの間違いだと良いけどなぁ…と朝起きると、ヲタメがスタッフの女性と談笑していて…少しだけ「なによぅ…」と思ってしまった。ジェラシー…。これはもうアレですわね、奥さん。
その朝、私たちはフェリーに乗って本部にもどった。そして本部から那覇へのバスの旅。まるで「卒業」の2人みたいに(よく言えばだけど)最後尾に陣取った私たちはとりとめのない話しをした。彼は独立して仕事も順調なようで、今までの苦労が報われたんだな、と嬉しくなった。
那覇に着くと波の上神宮に向かった。大きな石段を登りながら、どうしたことだか手をつないだ。彼はしみじみと「こういうの幸せって言うんだろうけど、慣れてないからよくわかんないや」と言った。そのあと綿菓子をたべてベタベタになった。
ヲタメは新年会の約束があるらしく一足先に東京に帰った。彼を見送ってモノレールに乗っているとヲタメからメールが届いた。「ナミダガトマラナイヨ…」。
なんで⁇という疑問がアタマをよぎるが、手を繋いだぐらいで幸せ感じちゃう男だから、そりゃあそうなのかもしれない。これは責任取らないとな…。
というわけで責任取って結婚しました。子どもたちも面白がってくれたし、結果的にはこれも良い選択だったかな…。あの旅がなければ今はないはずで、おめおめ沖縄にやってきたヲタメの選択もきっと正解なはず(無理矢理)。
あれから18年の時が過ぎ、別れてやろうかと思うような喧嘩もするけど、あの日「これが幸せなのかな?」と小首を傾げて当惑していたヲタメを思い出するたびに愛らしく、許してしまう。
もともと同僚だったとはいえ、お互いをよく知ったのは短い旅の中だった。そして「結婚」という名の旅はまだまだ続き、イヤになったり、見直したり、泣いたり笑ったりの繰り返しだ。
来年の春、私たちは沖縄の旅を企ている。久しぶりの南の海はどんな色に見えるのか。
ヲタメは少しは「幸せ」に慣れただろうか。