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わたしの躁うつ日記〜たぶん呪われた家系
やっと風呂に入れた。何日振りかはヒミツである。界隈なんてレベルじゃない。時には後ろ髪がナチュラルにドレッドになるぐらいなのだ。
ねこなしの生活にはまだ慣れないし、いずれにしろ冬は鬱の季節だ。鬱でもモノは書けることが多いので助かっている。誰に向けてでもなく胸の内を吐き出し、やっと息ができる。
思えば双極性障害を患って20年の古参となった。その前は鬱病と言われていたが、あれは誤診だったように思う。薬も効かず、生活もままならず七転八倒の日々。気付けば己の精神を見失い、勝てぬ闘いに身を窶す恐ろしさ。双極性と診断されてからの方が自覚もできたし、やや薬も効いている。あくまでも「やや」だが。鬱で暇なこの機会に私なりの孤独な闘いの日々を記していこうと思う。
私と精神病のなれそめは小学生の時、
祖母の葬儀で泣き叫ぶ叔母を見た時だ。普段は優しく大人しいその人が、周りの静止も振り切って獣のように吠えていた。子供心にも普通ではないな…とわかったが、父や祖父が「みっともねえなぁ」と叔母をディスっていたのも悲しかった。父も祖父もアル中と言って良い領域であったし、その醜態は叔母よりもよっぽどみっともなかったのだ。
思えば父方の親戚筋では、集まりのたびに何らかのトラブルがあった。喧嘩や言葉の暴力。母方の集まりはいつも和やかに終わるのに不思議だった。当然父方の親族の集まりは憂鬱なものになるのだが、よせばいいのに集まりたがる。父には兄がいたが自殺したらしい。何らかの病理があったのでは…と大人になってからは考えている。精神病が先か不和や生活の困窮が先か、いずれにしろ心の病あるところに幸せは寄りつきにくい。子供時代、私が眺めていたのはそんな大人たちの姿だ。
そして中3の師走、血相を変えた姉が2階から転げ落ちてきた。ラジオで大地震が来る!と言った。逃げないと!とブルブル震えながら父に訴えている。私はびっくりしてラジオもテレビもチェックしたが、そんなことはなかった。ここ数日の姉はわけもなく笑っていたり、ひとりごとが多かったり、様子がおかしかった。いつもの彼女ではなかったが、中学生の私には全く訳がわからなかった。姉はすぐに入院となったが、階段からまろび転げつ落ちてくる姉の姿は今も胸に焼き付いている。ストーブの上ではやかんが湯気を上げ、小さなクリスマスツリーが煌いていた。今でもクリスマスの季節は苦手だ。