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わたしの躁うつ日記5〜私に潜む異常性

姉の子供の面倒はほとんど母が見るような日々が続いていた。私はどちらかというと子供嫌いで仕事も忙しい時期だったが、たまに甥っ子と遊ぶと子供って面白いもんだなぁ…と思ったりした。甥の成長に比例して姉の病状もマイルドになり、平和を取り戻しつつあったある日、母から姉一家との同居の話を聞いた。私を追い出すつもりはなく、増築のついでに私の部屋も作ると言う話だったが、部屋があっても私が共依存親子に耐えられないな…と思った。実は母も同居は気が重かったらしい。私と同じ理由だ。けれど昭和の人間ゆえ父には逆らえず、また姉と甥を見守るにはそれがベストなのかもしれなかった。

家を出ることに決め、逗子の長屋みたいな家に引っ越した。そうこうしているうちに当時のボーイフレンドが転がり込んできて子供ができた。30手前だったし、いっちょ産んだるか!と思ったが、ボーイフレンドとの仲がどうにも悪い。今思えばマタニティブルーどっぷりだったのだろうが、血筋が血筋だけに常道を超えて粗ぶった。

相手がUSネイビーの黒人だから、ということで、親族に反対され総スカンをくらったのも痛かった。古い考えの家族で、もともと仲も良くないわけだから予想はついていたが、いざ腹に子を抱え、「おまえは常識がなさすぎる」「世間体が悪い」とディスられるのは辛かった。本人に問題があるならともかく、人種のことを言われてもどうしようもない。

だが、臨月を迎えた寒い冬の日、母が突然長屋ハウスを訪れてくれた。まず赤ん坊用のふとんがデパートから届き、その後に母がやってきた。「許さないつもりだったけど…」と母が口を開く。「おねえちゃんの時はあんなに世話したのに、あんたに何もしないのは寝覚が悪い」つまり母は、父に対して反旗を翻したのだ。昭和1桁としてはすごい勇気だと思う。母が来てくれたおかげで荒んでいた私の心にも温かみがさした。「生まれそうになったら連絡してね」と言い残して母は振りかえずに去っていった。そしてその2日後にクモ膜下出血で倒れ、5年間寝たきりの末、帰らぬ人となった。

#双極性障害
#マタニティブルー

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