10年日記
かつて「10年日記」というのをつけていた時期がある。立派な革表紙で1日ごとに3行ほど書くスペースが縦に10年分並んでいる。つまりそのページを開けば去年の今日何があったか、書き続ければ10年前の自分は何を考えていたのかが一目でわかるのだ。
ちょうど娘が生まれた頃で、その可愛さや成長ぶりを書き付けたりしていた。が、同時期に母が倒れて寝たきりになり育児と介護に追われるうち自分だけ社会から置いてきぼりになったような寂しさを感じていた。実家は母以外はそれぞれ仲が悪く、八つ当たりを受けることもあった。
トドメは夫婦仲もBADだったことである。そして元ダンナ浮気の決定的な証拠がご丁寧に国際便で送られてきた。元ダンナは米軍人だったので、おそらく彼に恨みを持つ部下か誰かがコツコツネタをコレクションしてくれたのだろう。その封書を一人開き…それからどう暮らしていたのかよく覚えていない。当時の友達に聞くと意外と普通に子育ても家事もやっていたらしい。酔っ払いが無意識に家に帰るような感じだろうか。ただしばらくは誰にも喋ることができなかった。話したら本当になってしまうような、そんな幼稚なことを考えていたのかもしれない。
誰かに話す代わりに…だったのか、私はそんな状況の中、日記を書き続けていた。3行では足らず、余白や裏表紙にも書いた。泣きながら書いたり、楽しかった日々を描いてはページを破いたり。来年、再来年のスペースまで醜い言葉で蝕まれた。吐き出したい。けれどいくら吐き出しても身体が空っぽにならない。
元旦那が出張先から帰って来る頃には日記帳は呪詛で真っ黒になった完全なるデスノートであった。デスノートを抱えての完全対決に和解などあるはずもなく、平和への手段は離れることしかなかった。今となってはその結果に悔いはないが、当時は生爪をはがすように辛かった。
離婚が決まり、新天地への荷造りをする時、デスノートは捨てることにした。というか黒い念が凄すぎて持っていられなかった。お焚き上げしたいくらいの特級呪物みがあった。作ったのは自分だけど。
それ以来、日記はつけていない。が、モノを書くのは好きなので、あちこちに何かを書いたりはしている。
「書く」というのは、わたしにとってはカウンセリングのようなものである。参加者が自分だけなので広がりはないが、書き連ねることによって「吐き出し」と「整理」の効果がある。また読み返すことである程度の「客観性」が生まれる。何事も書いておいて損はないと思う。