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わたしの躁うつ日記4〜やっぱり私もヤバいのか?
姉の病状は少しづつ快方に向かったが、すっかり放蕩癖のついた私は相変わらず家に寄り付かなかった。たまに帰っても「おふざけ」の人格を演じ、悩み事などはなるべく見せなかった。
感情をだせば父や姉を刺激しそうだし、母にはなるべく心配をかけたくなかった。
そのぶん歴代の彼氏たちは酷い目に遭ったと思う。家でのストレスやわけのわからない感情をぶつけまくるので、酷い喧嘩になることもあった。たまたまその様子を目撃した母が「やっぱりアンタも…おかしいのかねえ…」としみじみ言った。自分だけはまともだと母には見せたかったのに、完全に失敗していた。母は最初からお見通しだったのだと思う。
思えば小学生の頃から不登校気味な時期があった。喘息持ちだったので、それを理由にズルズル何日も休んだ。実際には休めることが決まれば喘息はすぐ止んだ。しかし翌日学校に行くとなるととたんに苦しくなる。喘息が特に朝方辛いのは一般的な事実だが、私の場合はメンタルとのつながりが特に強かったように思う。学校が嫌だったわけでもない。ただ学校へ行く気力がなかった。友達もいたし、勉強も嫌いではなかった。ただ外に出る気がしない。小2にしてその状態だったので、あれはやっぱり「子供のうつ」だったのかなぁ…と思う。
かと思えば意気揚々と通学し、学級委員に選ばれるような時もあった。その時はやる気まんまんでいろいろな目標を掲げるのだが、途中でガックリ気持ちが折れる。ものすごい後悔に才悩まされながら委員の職を降りる。自分に自信がなくなり、落ち込む日々が続く。その繰り返しだった。
昔から躁うつ気質であったと思う。気分の波が激しく、人に迷惑をかけたり嫌われたりしたこともあるだろう。それでも何とか落第せずに高校を卒業したが、そのあとは家出ばかりしていた。姉の問題もあるが、父からの暴力もあった。私も素行が悪かったがどっちが原因でモメているのかもうよくわからなかった。
それでもいくつかの仕事を経て定職に就き、自分で部屋を借りて暮らせるようになった。運の良いことに姉も就職をし、同僚と結婚することになった。距離ができたので、少しは冷静に付き合えるかなと思い時折り実家に帰ったりした。最初のうちは穏やかだったが、姉が出産して状況が変わった。ホルモンバランスの変化のせいか、また病気がぶり返したのである。
赤ん坊が泣いているのに全く反応しない時もあった。抱かせても目は虚で「この子供、生かすか、殺すか…」などと恐ろしいことを言う。母子から目が離せない日々がしばらく続いた。