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介護と看護、その教育の違いについて

わたしは看護師をやめて介護で働き、一から資格を取り直した。こういう人間は珍しいようで、いままで介護の現場で働いてきて、そういう人を知らない。看護学校を中退した人とか、准看護師だけど介護をやっている人はいたけどね。

しかも、わたしは介護福祉士の実務者研修を2回も受講した。一回目は、当時働いていた病院の師長から勧められたもので、割引で受講することができた。通学の日程がタイトなため、働きながら参加するのはなかなか大変なことで、途中でやめてしまった。
 それからは、「介護職はべつに無資格でもできるからいいか」と思って、国家資格は目指さないことにした。けれども、自分のなかでなにか引っかかるものがあった。
 今後、病院や医療の世界に戻る気はなく、これからも介護の仕事を続けていくだろう…そうなれば、やはり介護福祉士を取っておいたほうが自分のためになるのではないか?

そこで、また実務者研修の講座を探すことにしたのだが、以下の点に留意した。
・10万円くらいで受講できること
・医療的ケアが免除されること(看護師資格をもってるため)
・通学の日程が少なく、なおかつ振替え受講が可能なこと。
 そうして、また一から通信教育の学科から学び直し、通学の日程も終えて、研修を修了したのだった。

介護の教育というのは、看護師とかなりの部分が重なると感じている。介護過程の考え方もほとんど同じである。ただし、アセスメントの視点がちょっと違う。
 介護では、ICF(国際生活機能分類)の視点とかいうのを使っていたと思う。これに対して看護師はちがっていて、健康管理、食事/栄養、排泄、活動、睡眠、自己知覚…等の視点から個別にアセスメントを行う。
 また、研修では介護過程を一通り習ったとしても、それを現場で使ってるのを見たことがない。現場で使うことがないのであれば、なぜわざわざ仕事の合間に通学して習う必要があるのか? そうした疑問はあるよね。

介護の現場で働いていて、看護師との違いを感じることは他にもある。たとえば、介護は観察があまい、と感じている。
 尿道バルーン(膀胱留置カテーテル)をいれている入居者がいたとして、その尿ハキはたいてい介護の仕事になってる。それではなぜ、そうした処置をしているのか、どういった点を観察する必要があるのか、それはなぜなのか、など。こうしたことを考えながらやってる介護士はどれだけいるだろうか? たいていは業務の一つとして、ルーチンでやってる面が大きいだろう。
 これは看護師とちがって、介護職は“系統的な観察”の訓練や教育を受けていないのだから、当然といえば当然なのだけれども。しかし、介護現場では入居者の観察は介護の役割になっているのだ。
 観察の仕方があまいから、申し送りの内容もうすい。看護師の世界でこんな申し送りをしたら、きっとシバかれるだろうなぁ、と時々思う。わたしは病棟で働いていたとき、先輩から「そんな申し送りでいいんですかね?」といわれたことがある。看護はめんどうくさい世界なのだ。

あとは、介護職の記録の仕方が統一されていない、というのが気になっている。
 看護師などの医療職は、SOAP形式で記録をする。「主観的情報(S)、客観的情報(O)、アセスメント、プラン」の順に日々の記録をとる。これに対して、介護職には統一された書式がなく、みんながそれぞれ思い思いの書き方で記録しているようにみえる。

わたしは介護業界には、看護師の世界とちがって歴史が浅いぶん、業界としてそれほど硬直していないし、新しいものを取り入れていく進取の気性や革新性が期待できるのではないか、と思っている。
 その一方で、教育があまり実用的でなかったり、まだまだ足りないと思えるような面もある。そういったところは、これから改善の余地があるんじゃないかな。