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保存版「アイリッシュコーヒー」

1月25日はアイリッシュコーヒーの日だそうです。

National Irish Coffee Day

「アイリッシュコーヒー」

今やどこのバーでも味わうことのできる冬の定番ホットカクテルです。
挽きたてのコーヒー豆から丁寧にいれたその1杯は香りだけで幸せな気分に。そんなアイリッシュコーヒーの歴史や作り方、まつわるエピソードや雑学など。バーテンダーの備忘録も兼ねて調べたことを書いてみました。


歴史

アイリッシュコーヒーが生まれる前は

クリームをトッピングしたアルコール入りのホットコーヒーは、19世紀にはオーストリア、ウィーンのカフェで「Fiaker(フィアカー(※1)」や「Pharisäer(ファリゼール(※2)」として提供されていました。20世紀に入ると「Kaisermelange(カイザーメランジェ(※3)」や「Maria Theresia(マリア・テレジア(※4)」「Biedermejer-Kaffe(ビーダ―マイヤーカフェ(※5)」といったヴァリエーションもカフェのメニューでみられるようになります。19世紀のフランスではコーヒーと蒸留酒(コニャック)を合わせた飲み物「Cloria(グローリア)」も人気だったようです。

(※1)エスプレッソに甘みを加えてホイップクリームをトッピングした飲み物。キルシュワッサー(チェリーブランデー)やラムがベース
(※2)コーヒーに砂糖、ブラウンラムを加えてホイップクリームをトッピングした飲み物
(※3)濃いブラックコーヒーに卵黄と蜂蜜を加えたもの。カップの中で卵黄と蜂蜜を混ぜ、かき混ぜながら濃いブラックコーヒーをゆっくりと加えていきます。ウィーンでは、コニャックを1ショット加えることも。
(※4)コーヒーにオレンジリキュールを加えてホイップクリームを浮かべて細かく砕いたキャンディ(もしくはオレンジピール)をトッピングした飲み物
(※5)アプリコットリキュール入りのブラックコーヒーにホイップクリームをトッピングした飲み物

アイリッシュコーヒーの原型

現在、世界中で飲まれている「アイリッシュコーヒー」の原型が生まれたのは1943年~1945年頃。
アイルランドのタイロン州カスレルグ出身のシェフからバーテンダーに転身したジョー・シェリダンがアイルランドのフォインズ港で働いていた時に考案されたと言われています。

初期の飛行機は大西洋を横断するには飛行距離が足らず、1937年以降は飛行艇が使われるようになり、アイルランド西海岸のフォインズ港は最後の供給地点でした。
フォインズ港は、第二次世界大戦中にヨーロッパ最大の民間空港の一つとなり、その後、政治家やハリウッドの有名人を乗せた大西洋横断便の飛行場となりました。
最初のニューヨーク直行便は1942年生6月22日に就航し、25時間40分かかったそうです。

戦時中は、ハンフリー・ボガート、アーネスト・ヘミングウェイ、ジョン・F・ケネディ、エレノア・ルーズベルトといった有名人がこの空港を利用していたことも知られています。

ニューヨークへ向かう飛行機が荒天と数時間格闘した後、フォインズ港へ戻ってきた時のことです。
乗客が到着すると、レストランに案内され、シェフのジョー・シェリダンが、コーヒーにウイスキーを入れた飲み物を提供したところ、たちまち大評判となったというお話。

乗客が「ブラジルのコーヒーか?」と尋ねると、シェリダンは「アイリッシュコーヒーだ」と答えたと言われています。

数週間後、シェリダンがドリンクをクリーム入りのステムグラスに入れて、それが空港のメニューに加えることになったとのことです。

1942年にシャノン空港が開港したことによりフォインズ港はその役目を終えて今では博物館が唯一の遺構となってしまいましたが、今でも旅行者にアイリッシュコーヒーを提供する伝統は新空港に引き継がれているようです。

もうひとつの説

私も含めて多くの人がこのようにして最初のアイリッシュコーヒーが誕生したと信じていましたが、実はその3年前にダブリンで発明されたという説もあります。米国の著名な学者ジョン・V・ケレハー(※6)のエッセイによると、ダブリンのテンプルバーにあるバッドボブス&ドルフィンホテルのオーナーマイケル・ニュージェントが、戦時中のコーヒーの不味さを誤魔化すためにこの飲み物を作ったという説。

ジョー・シェリダンは1928年、19歳の時に家族とともにタイロン州からダブリンに移り住みました。ピムス百貨店で料理の基礎を学び、ダブリンでも有名なレストラン ドルフィンホテルで技術を身につけました。

オーナーのマイケル・ニュージェントはバッドボブスでワイン、スピリッツ、食料品の卸売業も手掛けており、自身はリキュールの製造者とブレンダーとしての顔を持ち、コーヒーリキュールの実験を繰り返していたそうです。第二次世界大戦の初期にはバッドボブスとドルフィンホテルに訪れる多くの人々が彼のアイリッシュコーヒーを味わいました。

確かにフォインズ港に行く前にドルフィンホテルで働いていたシェリダンがそこから着想を得たと考えても不思議ではないですね。。。

(※6)1952年から1986年までハーバード大学のアイルランド学教授

アメリカでの流行とブエナビスタカフェ

1947年、サンフランシスコ・クロニエル紙の記者スタントン・デラプレンはシャノン空港で初めてアイリッシュコーヒーを味わったといいます。

サンフランシスコに戻り、地元のお気に入りのバー「ブエナビスタカフェ」でバーのオーナー ジャック・ケプラーとアイリッシュコーヒーの再現を試みました。(1952年11月10日?)ブエナビスタのによると
何度やっても上手くいかず、ケプラー氏はシャノン空港まで行ってその作り方を見学したそうです。

そう考えると世界中のバーテンダーがレシピを公開したりYouTubeで作り方を公開するのは便利な世の中になりましたね。

サンフランシスコに戻ってからも実験を続け、クリームが浮かないことを、同じく酪農家である同市の市長に相談したところ、生クリームは新鮮なものよりも、2日ほど経ったものの方が泡立ちがよく、浮き上がることが分かり、さらに試行錯誤を重ね、現在もブエナビスタで使われている6オンスのゴブレットにたどり着いたそうです。

現在では毎日2000杯ものアイリッシュコーヒーが販売されているとか。。。
世界中からファンが集まる観光地のようです。

その一方で、アメリカに情報を持ち帰った旅行者はデラプレンだけではないという説もあります。

ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の料理評論家、クレメンタイン・パドルフォードという人物が最初だというものです。1948年のセント・パトリックス・デイのコラムで、彼女はアイリッシュ・コーヒーを取り上げ、レシピを紹介しています。

いずれにせよ1950年代に行われたブエナビスタの広告によって流行したことは間違いなさそうです。


ブエナビスタのレシピと作り方

レシピ

・角砂糖 2個
・ホットコーヒー 120ml(イタリアンロースト)
・アイリッシュウイスキー 45ml(タラモアデュー)
・生クリーム 45ml(軽く泡立てたもの)

作り方

・8オンスの透明な耐熱グラスにお湯を入れて温める(温まったら捨てる)
・角砂糖を2個入れ、ホットコーヒーを注ぎ、かき混ぜて溶かす
・ウイスキーを注ぐ
・スプーンの背を液体の表面にあてて、泡立てたホイップクリームをゆっくりとグラスに注ぐ


様々なコーヒーカクテル


・アイリッシュクリームコーヒー
ベースにアイリッシュクリームリキュールを使用したもの

・ハイランドコーヒー
ベースにスコッチウイスキーを使用したもの
(日本でいうゲーリックコーヒー)

・ケンタッキーコーヒー
ベースにバーボンウイスキーを使用したもの

・カフェ ロワイヤル
ブランデーを染み込ませた角砂糖をスプーンに乗せ、火をつけたままコーヒーの入ったグラスに落とす

・ゲーリックコーヒー
アイリッシュコーヒーの別名
アイルランド語(ゲール語)で Caife Gaelach(カイフェ ゲーラッハ)
日本ではベースにスコッチウイスキーを使用したものとして知られている

・カラヒージョ
スパインや中南米で飲まれるコーヒーカクテル(主にブランデーを使用)
メキシコではリコール43(バニラ風味が特徴のリキュール)、メスカル、コ-ヒーリキュールなどが使われる
アメリカでは砂糖でスノースタイルを施したグラスに火をつけて提供される(スパニッシュコーヒー)


長くなりましたが皆さんいかがでしたでしょうか?

大寒波が予想されている1月25日
比較的閑散とした営業日が予想される中。。。
近所のBarでぜひお試しください♪


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