与える喜びとは
今日のおすすめの一冊は、渡辺和子氏の『忘れかけていた大切なこと』(PHP文庫)です。その中から「石を投げる資格があるのだろうか」という題でブログを書きました。
本書の中に「与える喜び」という素敵な話があったのでシェアします。
近頃、もらう喜びは知っていても、その他の喜びをあまり味わっていない子どもが、ふえているように思えてなりません。その他の喜びとは、与える喜び、分け合う喜び、そして自分で物事をやり遂げる喜びです。
マザー・テレサがこんな話をなさいました。カルカッタの街に、八人の子を抱えてお腹を空かしている家族がいたので、お弁当を作ってもって行ったところ、その母親は押し戴いて喜んだ後、すぐどこかへ出て行きました。やがて戻ってきた母親は、「実は隣の家族も、このところ食うや食わずの毎日だったので、半分あげてきました」と言ったそうです。
マザーは、この話をしてから、「貧しい人は偉大です。飢えを経験した人には、他人の苦しみもわかるのです」と言われました。本当の豊かさとは、このように、他人に与えるものをもっている心を指すのですね。
最近、自分でやり遂げる喜びを、子どもから奪っている過保護の親もふえているようです。それは、子どもたちを愛しているように見えて、実は彼らから、その成長に必要な自信と、自立の喜びを奪っているのです。もらう喜びしか知らない子どもは、自分中心の世界で生きています。どれほど多くのものをもっていても、その子の心は貧しいのです。与える喜び、分ちあう喜び、自分で何かをやり遂げた時の喜びをも味わわせることによって、子どもの生活を本当に豊かなものにしてやりましょう。
もらうことになれてしまうと、それが当たり前となり、感謝がなくなります。そして、もっといいものはないのか、と更に良いものを欲しがるようになったりもします。また、前にもらったときより、レベルの下がったものをもらったようなとき、感謝どころか、「そんなのいらない」とふて腐れたり、不満を言ったりします。
まさに、自分のことだけしか考えない「自己中心的」な子どもです。そういう家庭には「感謝の言葉」がありません。「ありがとう」という言葉が家族間でまるで言われてないのです。その根本には、お互いに敬意のある言葉を使っていないということがあります。子どもは親に対して敬意ある言葉を使うのはもちろんですが、夫婦間でも、親が子に対しても、丁寧な言葉を使っていれば、自然と「ありがとう」の言葉は出るようになります。
そして、「ありがとう」の言葉が出るようになれば、「利他の心」という他人を思いやる言葉が発せられるようになり、結果的に「与える喜び」「分け合う喜び」を知るようになると思うのです。
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