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「いただく」という言葉

今日のおすすめの一冊は、渡辺和子氏の『どんな時でも 人は笑顔になれる』(PHP文庫)です。その中から「つまづいたおかげで」という題でブログを書きました。

本書の中に『「いただく」という言葉』という心に響く文章がありました。

私は「いただく」という言葉が好きで、日常会話の中でも、できるだけ使うようにしています。

「くださるものをいただく。しかも、ありがたくいただく」このような心で祈る時、その祈りは必ず、神に“届く”と思うのです。届いたということは、決して、そのことがそのまま叶えられる結果になるということではなくて、神がその時、その人にとって一番“善いこと”をしてくださるということなのです。

「お祈りしています」と誰かに約束する時、その人の当座の願い事が、そのまま叶えられるようにと祈るとともに、その人が、求めたことに対して与えられた神様の「返事」を、ありがたく“いただく”ことができるようにと祈ることも忘れてはならないのではないでしょうか。

 “請求書の宗教”でなく“領収書の宗教”を持って生きてゆきたいと思います。「ください。ください」と欲しいものをやみくもに願うことが真の祈りな のではありません。 「たしかにいただきました。ありがとうございました」と、神様のくださるもの一つ一つを、しっかりいただいて感謝する“心”こそを、私たちは真に祈り求めるべきなのでしょう。

◆本書の中に、ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に一人の患者の残した詩のことが書いてあった。

大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。

より偉大なことができるように健康を求めたのに、より良きことができるようにと病弱を与えられた。

幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。

世の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった。(中略)

求めたものは1つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。

まさに、「くださるものをいただく。しかも、ありがたくいただく」ということだ。くださるものを、ありがたくいただける人でありたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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