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誰も見ていないところで

今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『小さな経営論』(致知出版社)です。その中から「運をよくするには」という題でブログを書きました。

本書の中に「誰も見ていないところで」という心に響く一節がありました。

「冥冥(めいめい)の志なき者は、 昭昭(しょうしょう)の明なく、 惛惛(こんこん)の事なき者は、赫赫(かくかく)の功なし」 

これは『荀子(じゅんし)』という本の中に出てくる言葉です。 惛惛(こんこん)というのは、「昏睡」という言葉がありますけれど、「暗い」という意味なんです。「冥冥(めいめい)」も同じで、「暗い」ということ。 

要するにこれは、「誰も見ていない」という意味です。 だから、「冥冥の志なき者は、昭昭の明なく」というのは、心の中で密かに志を抱いて努力して励んでいこうという気持ちを持たない者には輝かしい名誉などは表れてこない、といっているわけです。 

次の「 惛惛(こんこん)の事なき者は、赫赫(かくかく)の功なし」というのは、目立たない誰も見てないところで一所懸命、善行や努力を積み重ねていない者には明らかな功績などは表れてこないよ、といっているわけです。 

簡単にいえば、「自分一人の時間に何をしているか」ということです。みんなのいる前ではなくて、自分一人の時間。これは「冥冥惛惛(こんこん)」でしょう。誰も見ていない時間でしょう。 そういう時間に、自分は何をしているのか。そこで一所懸命努力 していると、それが後々、昭昭の明とか赫赫の功になって表れてくるんだよ、と。 

逆に、そういう一人のときにいい加減なことをしていたら、昭昭の明も赫赫の功も絶対に表れてこないよ、ということです。 一人になった時間にどういう思いで生きているか。それが大事だというんです。

自分が一人だけの時間に何をしているか、それは自分だけが知っているでしょう。その一人だけの時間に自分がどんな思いを持っているか、それがその人の運命を決めていきますよ、という意味です。

誰かが見ているからじゃなくて、誰も見て いない、天地しか見ていない。その時間に自分が何をしているか、 それが人生を決めてしまう。

「桃栗三年柿八年」という言葉がありますね。桃や栗は実がなるまでに三年かかる、柿は実がなるまでに八年かかる。私は今までにいろいろな人を見たり、あるいは意見を聞いたりしてきたけれど、人間の花は十年後に咲くんです。

努力したからといって、人間の花はすぐには咲くものではありません。特に自分自身の人格なんて、すぐには変わらない。十年経ったら、ちょっと薄皮を剥ぐように変わっていくんです。 

だから人間の花は、「よし、やるぞ!」と決意して三年ぐらい経ったときに「三年経っても効果がない」とやめてしまったら駄目なんですよ。 花が咲くまで十年かかる。毎日一所懸命、人が知らないところで コツコツコツコツ、誤魔かさないで急がないでやっていったら、十年後に花が咲くんです。 

今日から毎日一人の時間に自分を高めるべく何か勉強 をしていったら、その行為は十年後の花になって咲いていく。これは知っておいたほうがいいですね。すぐには咲かない、十年後に咲く。

潜行蜜用 如愚如魯(せんぎょうみつようはぐのごとくろのごとし)」という禅の言葉があります。目立たぬよう、際(きわ)立たぬよう、誰がしたかわからないように、ひそかに淡々と、日々自分のベストを尽くすこそが大事だ、ということです。 

誰かに見てもらいたいとか、有名になりたい、ということは、この「潜行蜜用」の真逆にある言葉です。 しかし、大事なことは、如何に、誰も見ていないところで、自分を磨き続けるか。一人の時間に何をしているかが、十年後、二十年後に問われる、ということです。

今日のブログはこちらから☞人の心に灯をともす


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