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がっかりしたときの態度
今日のおすすめの一冊は、山崎武也(たけや)氏の『人生は負けたほうが勝っている』(幻冬舎新書)です。その中から「けんかを買わない」という題でブログを書きました。
本書の中に「がっかりしたときの態度」という心に響く文章がありました。
イギリスのヘッドハンティング会社の依頼を受けて、その日本での活動を手伝っていたことがある。スムーズに一件落着となる場合もあれば、紆余曲折を経ても失敗といったほうがよい結果になった場合もあった。だが、後味の悪い思いをしたケースもある。
外国企業の日本支社長に日本の省庁の高官だった人を推していたときだ。高慢なところが言動の端々に見られたので、ちょっと辟易しながらの作業をしていた。だが、経験と能力は十分であったので、本社の幹部が当人と食事をしながら面接をするという最終段階にまで漕ぎ着けた。
だが、その結果はノーであった。そのうぬぼれが強くて高慢な性格が理由だ。残念な結果になった旨を当人に伝えると、激怒した。罵詈雑言を浴びせられた。企業がいったん採用しないと決めたら、それを覆すのは、まずは不可能である。当人としてはあきらめ切れない気持ちがあるのは理解できるが、その感情を人にぶつけても、結果を変えることはできない。
大の大人であれば、その点はよくわかっているはずだ。望みどおりの結果にならなかったからといって、人を脅すにも似た捨て台詞(ぜりふ)をいってみたり、土下座せんばかりの懇願を試みたりしても、何一つよくなることはない。ただ見苦しさを露呈するだけで、自分の品格を下げる結果になる。
即座に諦めて引き下がるのが、賢明な人のすることである。さらに、その段階にまで行き着くのに努力してくれた人に対して、感謝の一言でも述べておけば、その冷静さといさぎよさが相手にさわやかな印象を与える。
未練がましさには、前向きの姿勢が見えない。未練は残るものだが、それは自分の心の中にだけ留めておく。少なくとも表向きには、すぐに捨てるのだ。中に残った未練の気持ちが強かったら、そのエネルギーを「昇華」させてプラスの方向へ向けていく。
無用、といういようりもマイナスの長物にもなりかねないエネルギーをプラスに転換していくのだ。がっかりしたときの振る舞いで品格が量られる。
◆自分の思い通りいかなかったとき、どんな態度をとるかで、その人の品性がわかる。品性とは、感情的にならずに、大人の振る舞いができるかどうかだ。
怒ったり、八つ当たりしたり、ヒステリーになったりするのは、わがままで聞き分けのない子供の振る舞い。真の大人は、セルフコントロール力があり、精神的に自律している人。がっかりしたときや、苦境に陥ったときには、その人の本性が出やすい。
「がっかりしたときの振る舞いで品格が量られる」
がっかりすればするほど、逆に、感謝の気持ちで接したい。
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