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書店に行こう!

今日のおすすめの一冊は、齋藤孝氏の『“ちょっと尊敬”される人になる本』(三笠書房)です。その中から「ハードな仕事をしているのに結構機嫌がいい」という題でブログを描きました。

本書の中に「書店に行こう!」という心に響く文章がありました。

好奇心というのが人の魅力だと私は思う。人を人らしく生き生きさせるものが好奇心で、それを失えばホモサピエンスとして生まれた甲斐がない。常に新しい世界に触れることを喜びとしている人は、どこか生き生きとしている。

私は教員養成をしているが、教師自身が好奇心を失ったら終わりだと考えている。好奇心がなくなると、当然好きなこともなくなる。だんだん無気力になっていく。英語はそれほど好きではないが、英語教師の資格を持っているのでとりあえず英語を教えているという人に習った生徒は、まず英語を好きにならない。

好奇心のあるなしは、自分のみならず他人にも影響を及ぼすことになる。知的好奇心が空間的にぎっしり詰まった場所の一つが、書店である。

知的好奇心で日本は他の諸国に劣る国ではないと思うが、急速に本の文化が衰弱しつつあると思う。たとえば東大生の蔵書数がすごく減ってきている。かつてなら大学生の本棚は年に一つずつ増えていくイメージだったが、いまや望むべくもない。

知的好奇心イコール本を読む、という等式が成り立たなくなってしまった。私が見たところ、学生はインターネットから手軽に情報を得て本の代用としている。あとは友人との「水平的」なコミュニケーションである。

本を読む行為は知的レベルの高い人と対話するのに等しい。だから、知識の習得のみならず著者の人格を含めて影響を受ける。滝に打たれるがごとき「垂直的」な教えが胸に響き、自分の中に「深み」が出てくる

インターネットの情報に接しているだけでは人間性の深さまで培(つちか)うことはできない。もっと言えば、本はその背表紙が家の書棚に見えるだけで、著書その人が身近に存在しているような気さえする。

自分の中に偉大な他者が住むというのが重要なことである。自分はあくまで自分でしかないという人は薄っぺらなわけで、そういう人は尊敬されない。

自宅や仕事場に本棚があり、そこにぎっしり本が詰まっていると、人生は限りなく愉しく豊かになる。背表紙をながめているだけで、多くの先達や師から教えを受けることができる気がする。

さっき会ったばかりなのに、また会いたいと思わせるような魅力のある人は、「深さ」のある人だ。「深さ」がある人には、いつまでも響く鐘の音のような余韻がある。そして、人としての「深さ」を身につけるには読書しかない。

だからこそ、「書店に行こう!」。

いくつになっても好奇心を失わず、読書をする人でありたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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