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学びは楽しい

今日のおすすめの一冊は、宮地勘司(かんじ)氏の『探究のススメ』(教育開発研究所)です。ブログも同名の「探究のススメ」と題して書きました。

本書の中に「学びは楽しい」という心に響く文章がありました。

探究学習においては、先生が知識の番人の座から降りて、生徒の学びの伴走者として応援していくことが大切です。そのことで生徒は知の探究者として主体的に動き始める準備が整います。
そして学びを本格的に起動するためには、生徒が学びに向かう動機が必要になります。本来は誰の中にもあった「知りたい、わかりたい」欲求を生涯失うことなく持ち続けるためには、どうしたらよいのでしょうか?
それは、学校教育のなかで「学びは楽しい」という原初的な体験をすることだと私は思っています。子どもたちが社会性を持ってくると、何かのために学ぶという利得欲求を持つかもしれません。
しかし、それに引きずられるのではなく、子どもたちの内なる野性的な探求心に意識を向けることが大切です。それを賦活する (活力を与える)ことで、根源的な学びへの欲求がもう一度目覚めてきます。
わからないことがわかる楽しさ。できないことができるようになる歓び。 難問にぶつかったときのわくわくする気持ち。自分の力で課題をクリアできると自分のことがもっと好きになれるし、チームで協力して壁を突破できると仲間のことももっと好きになれる。
学ぶことで自らの視野が広がり、これまでと世界の見え方が違ってくる。そんな学びそのものが持っている根源的かつ純粋な歓びを、学校教育のなかで深く実感することが非常に大切だと思 うのです。
私たちは学校教育のなかで、子どもたちが本来持ってい る野性的な学びの力を賦活することを目指しています。学びの楽しさ、すばらしさを子どもたちが教室の中で実感することで、彼らの意識は変わってきます。
授業のなかで、自分自身が当事者となる体験。人から教えられるのではなく、自らの意思で獲りに行く学び。困難があっても仲間とともに協力して乗り越える経験。一つの正解にたどりつくゲームではなく、自分自身の正解を見つけることの歓び。それらのことを通して、子どもたちは本来持っていた自ら学ぶ力を取り戻していきます。

生まれたばかりの赤ん坊は「知りたい、わかりたい」という欲求がものすごく強いものです。しかし、それが小学生、中学生になるにつれ「知りたい、わかりたい」という感情がなくなっていきます。

その大きな原因の一つが「何かのために学ぶ」「学ぶことによって利益を得たい」という「利得欲求」です。いい成績をとって親に褒められたい、あの難関校にどうしても入りたい、という問題や学びのテーマそのものよりも、関心事はその先にあります。

この利得欲求が度を越して強すぎると、本来持っていたはずの「知りたい、わかりたい」という好奇心が無くなってしまうのです。

今一度、「学びは楽しい」と思える子どものような感性を取り戻したいと思います。

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