優等生は「問題発見」は不得意
今日のおすすめの一冊は、細谷功(いさお)氏の『問題発見力を鍛える』(講談社現代新書)です。今日のブログは本書と同名の題「問題発見力を鍛える」で書いてみました。
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細谷氏は「終章」《問題発見力を鍛えるために、今後やるべきこと》でこんなことを書いています。
問題解決と問題発見では正反対の思考回路を使うことをお話ししましたが、これを問題解決が得意な人と問題発見が得意な人という形で再整理しておきます。まず問題を発見するためには「そもそもの常識を疑ってかかること」だとお話ししました。ところが世の中は常識を信じた多数派によって占められています。
もちろん大抵の場合において、別の言い方をすれば世の中の変化が小さいときにはほとんどの人が信じている常識にしがたって生きることが問題解決には圧倒的に役に立ちます。常識に反することは圧倒的に多くの人を敵に回しますから、それではそもそも解決する問題も解決しません。
多くの場合、問題解決というのは、「正しいかどうか?」よりも「多くの人が納得するか?」にかかっており、そのために重要なのが「常識に反した言動をしないこと」だからです。ですから、構造的に問題解決が得意な人は本書で述べてきたように常識に反することはしないような価値観に自然になっているのです。
同様の理由で、問題発見が得意な人たちは常に少数派になります。天邪鬼(あまのじゃく)であり、他人と違うことを好む人こそが問題発見に向いています。したがって、このような人たちが増えてくると皮肉なことに意見を変えなければならなくなります。「常識を疑え」は少数派ならではの意見だからです。
もう一つの理由は、このような人たちは必然的に「友達が少なくなる」はずだからです。多数派とは意見が合わず、そもそも他人と話を併せる協調性など持ち合わせていないのがこの人たちの価値なので、構造的に問題発見派は「友達の少ない少数派」にならざるを得ないのです。いわゆる周りに友達が集まる「優等生」というのは問題解決が得意な人であることもここから自明だと思います。
優等生というのは多数の人が持っている評価軸で高い評価を得ている人です。必然的に「常識人偏差値」は著しく高いはずです。「難関試験を通過した人」というのも問題解決型であるといえます。そもそも「試験の成績が良い」=誰かが作った問題に解答する能力が高いことを意味しますから、難関資格を有している比較的ステータスが高い人というのも問題解決能力が高いことになります。
つまり相対的に「問題発見」の能力は低くなるはず(両者のスキルが相反するため)です。むしろ社会での「問題児」というのは問題発見が得意な可能性が高いことを意味しています。「問題児」というぐらいなので、まさに問題を自ら(見つけるを通り越して)作り出しているわけで、これぞ究極の問題発見ということもできるでしょう。
では、問題発見型の人を活かすにはどうすればよいのかといえば、むしろ「育てるという他動詞」ではなく、「育つという自動詞」を重視すべきです。問題解決では言われたことはそのまま受け入れる受動的な人でも成長の余地がありますが、問題発見は純粋に能動的な行為です。
ある意味、「出る杭は打たれる」型の人が問題発見に向いているのだと思います。もっというなら、「狂気」のある人です。常識とはかけはなれた「狂気」のある人。まさに、閑吟集にあるように、「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」の世界かもしれません。
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