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来た球を打ち返す

今日のおすすめの一冊は、齋藤孝氏の『「型破り」の発想力』(祥伝社黄金文庫)です。その中から「日本は創造性豊かな国」という題でブログを書きました。

本書の中に「来た球を打ち返す」という心に響く文章がありました。

まずは、職業的意識で来た球を打ち返してみることです。その際に受け手を意識して、要求に少しでも応えようとすることです。 

日本の漫画のパイオニアである手塚治虫さんは、売れっ子になってからも尋常でない仕事量をこなしていました。週に何本も締め切りがあったそうですが、普通は大物になったらそんなにあくせく仕事をしなくてもクオリティをあげていけばいいとなりそうです。

『ブラック・ジャック』と『三つ目がとおる」が同時期に連載されるなんて、考えてみてもすごいことです。 これは想像ですが、手塚治虫さんもオファーが来たものに対しては、意識的にできるかぎりこなしていたのではないでしょうか。 

来た球を打つというのを繰り返す中で新しい領域の仕事が開かれ、その中から傑作が生まれるということを経験的に知っていたのだと思います。 そして、その繰り返しバットを振る中でも、自分がやっていることのエッセンスを見失わないことが大切です。

真善美のような遠い世界、究極の本質のようなものを意識することです。 北斎だったら波とは何かということを探究して、他の人とは違うやり方でそれを表現しました。すると、誰が見ても波ってこうだよね、という新たな価値が生まれました。

世阿弥なら人間の感情の一番奥底にあるもの、情動とはなんだろうと突き詰めて、演劇表現にしましたし、芭蕉は「古池や蛙飛びこむ水の音」という、一見普通の光景で春を見事に表現しました。 こうして本質を見失わず、けれどもそれを具体的にしていくことが必要です。

◆ドイツの哲学者、ヘーゲルは「量質転化の法則」を唱えた。量を積み重ねていくと、質的な変化が起こるというものだ。つまり、質を高めたければ、「質が変化するまで量をこなす」ことが大事だということ。「量は質を凌駕(りょうが)する」ということだ。

まさに、「来た球を打ち返す」ということを、倦まずたゆまず継続してやっていると、それがやがて質に転化することになる。つまり、そこに独創性や創造性が生まれてくるということだ。

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