今日のおすすめの一冊は、渡辺和子氏の『幸せはあなたの心が決める』(PHP研究所)です。その中から「自分の花を咲かせる」という題でブログを書きました。
本書の中に「礼儀」についての素敵な文章がありました。
今や、礼儀を、古いとか、形だけのものとして蔑視(べっし)する傾向があります。「何の得にもならない」と、利益に換算する人もいれば、「こんな忙しい世の中、礼儀などに構っていられない」と言う人もいます。中には、無礼であることが、むしろ現代的だと錯覚している人もいます。
そして、多くの若い人は、礼儀を教えられずに育っていますが、それは彼らにとって大きな損失です。なぜなら、「美しさ」というものが、永遠に変わらない、そして人々が追い求める一つの価値だとすれば、その美しさを創るもの、生み出すものは、礼儀という名のもとに実行される、小さいことの積み重ねだからです。それは、なぜそうするのかと問われても答えられないような「きまり」を、来る日も来る日も、繰り返して自分に課していった結果、いつしか生まれてくるものなのです。
幼い時、母は私たちに向かって「膝(ひざ)を揃(そろ)えなさい。膝と膝の間を開けて座るものではありません。宮様方は、何時間でもそうしていらっしゃいます」と言ったものでした。宮様ではあるまいし、と心の中で反撥(はんぱつ)しながら、渋々膝小僧を揃えたものです。
「家の習いが外に出る」という信念のもとに、母は、家の中だから行儀を悪くしていいということを許しませんでした。食べ物を口に入れたまま話したり、歩いたりすることはもちろん禁じられ、食後すぐ寝そべることは「牛になる」ことであったし、床の間に足であがること、敷居や畳のへりをふむことは「足が曲がります」という極めて非科学的な理由で禁じられていました。
ふすまや障子(しょうじ)をきっちり閉めない時にも、叱言(こごと)は容赦なく飛んで来たものです。「でも、よそのおうちでは」と言おうものなら、「よそはよそ、うちはうちです」と言われるのが落ちでした。今になって思えば、これらの「理由なきしつけ」は、結局、自分との闘いであり、自分をきたえる手だてだったのです。
森信三先生の「しつけの三原則」という、子どもを育てるときの大切な教えがあります。①【朝のあいさつをする子に】そのためには、親が先に「おはよう」という。/②【「ハイ」とはっきり返事のできる子に】そのためには、親が「ハイ」と返事をする。/③【席を立ったら必ずイスを入れ、ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に】そのためには、親が後始末をきちんとする。
しつけは親が手本を示さなければ、うまくいくはずがありません。しつけは、小さなときからの積み重ねだからです。一朝一夕に身につくものではありません。食事のマナーでは、「ペチャペチャ音をたてて食べない」「テーブルにひじをつかない」「食事中は、背筋を伸ばした美しい姿勢」「手の置き場所」
普段のしつけにおいては、「何かを頼むときは、『お願いします』」「何かをしてもらったら『ありがとう』」。しつけが美しさをつくります。礼儀正しい人は美しい人です。
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