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天国度100%とは

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『「き・く・あ」の実践』(サンマーク文庫)です。その中から『世の「不条理」を認められるかどうか』という題でブログを書きました。

本書の中に「天国度100%とは」という、心に響く一節がありました。

仮に、平均的な人間の幸せ度を0とし、その左側がマイナス(地獄度)、右側に行くほど天国度が10、20、30......100となっていくとします。 では、天国度100というのはどういう状態でしょう。

それは、よき仲間に囲 まれていることです。何かに成功することでも、目標を立ててそれを達成することでもありません。天国度40、50の人が存在することは認めますが、本当に 天国度100を味わえる環境、状況というのは、よき仲間に囲まれて、そこに自分が身を置いているだけで楽しくて幸せになること。これが100パーセントの天国度です。 

これと180度正反対の、まったく逆のところにある、天国度がマイナス100=地獄度が100の状態は何かというと、炎熱地獄でも焦熱地獄でもなく、「孤独地獄」です。 100パーセントの地獄は、孤独地獄。

人は人と人の間に生きて初めて「人間」なのです。 本当の幸せとは、自分の目標を達成することではなく、人の間で生きて、友達やまわりの人が温かくて愛情に満ちていて、自分に対して本当に愛情だけで接してくれる、そういう状態のことです。 

隣の人でもいい、今日初対面の人でもいい、本当に優しく見つめてくれる人と人の間にいる状況にあることが「幸せ」。

「そろそろ人生の折り返し点(人の寿命はそれぞれですが、だいたい四十歳前後)を過ぎたな」と自分で思える人は、旅をするのに「どこへ行くか」ではなく、 「誰と行くか」に切り替えたほうがいいと思います。

「何を食べるか」ではなくて、「誰と食べるか」ということに切り替えたほうがいい。「何を飲むか」ではなく、「誰と飲むか」に切り替えたほうがいい。「何をしゃべるか」ではなく、「誰としゃべるか」ということが、実は幸せの本質なの です。 

20代、30代のうちはそれがわからず、北海道に行きたいとか沖縄へ行きたいとか、旅の目的地を一生懸命挙げ連ねます。けれど40歳を過ぎたら、どこへ行くかではなく、一緒に行く人間を選んだほうがいい。

どこへではなく、誰と行くか、そこに本質があります。 自分が一緒にいて幸せと思える、そんな人間関係の人、4、5人と一緒に旅をすることができたら、田んぼの畦道でおにぎりを食べるだけでも幸せでしょう。

小林正観さんは「よき友」についてこう語っている。

お釈迦さまの第一の尊者と言われた、アーナンダはあるときお釈迦さまにこう言ったそうです。「お師匠さま、今日、私はあることで突然、頭の中に閃(ひらめ)きが生じました。私たちは《聖なる道》というのを追い求めているわけですが、もしかしたら、よき友を得るということは《聖なる道》の半ばを手に入れたと言っていいのではないでしょうか」

《聖なる道》というのは、自分の中に悩み、苦しみ、煩悩がなくて、いつも幸せで楽しくて執着がない状態ですね。すると釈迦は「アーナンダよ、“良き友”を得られたら、その《聖なる道》の半ばを手に入れたということではない」と言ったんです。

釈迦は言葉を続けて「アーナンダよ、良き友を得ることは《聖なる道》の半ばではなく《聖なる道》のすべてを手に入れることである」。同じ価値観をもち、同じ方向に向っている人たちを自分の友人にすることが、実は人生のすべてなんです。(で、何が問題なんですか/弘園社)

よき友とは、同じ価値観を持ち、同じ方向に向かっている人のこと。よき友と食事をし、飲み、旅をすることこそが「天国度100%」の状態。

よき友に囲まれる人生でありたい。

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