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いちばん簡単な「功徳」とは

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『究極の損得勘定』(宝来社)です。その中から「心配すればするほどその現象を引き寄せる」という題でブログを書きました。

本書の中に、『いちばん簡単な「功徳(くどく)」とは』、という心に響く文章がありました。

「こんなラッキーなことがあったよ」という話を聞いたときに、人間には2つの反応があります。ひとつは嫉妬、ねたみ。もうひとつは、「よかったね」と一緒になって喜び、祝福してあげられる。

釈迦が残した言葉に「随喜功徳(ずいきくどく)」というものがあります。人の喜びや幸せを喜んであげるだけで、徳を積むことになるのだそうです。いちばん簡単な徳積みなのです。仏教の修行の中で、いちばん楽なものでしょう。

ということは、自分のまわりに「今日はこんな楽しいことがあってね」という話ばかりしている友人をたくさん持っている人は、ただひたすら「よかったね」と言っているだけで、「功徳」を積み重ねていけるわけです。

「小林正観と行く国内ツアー・海外ツアー」というものが年に何回かあるのですが、その参加者はすでに私の講演会を聞いたり、本を読んだりしてくださっている方々だけなので、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言う人がひとりもいません。日常の中にただ喜びだけをみつける訓練をしている人たちです。

そのような「良い仲間」を持っていることが、 人生にはとても重要です。 そして、その旅行のあいだ、みんなが集まると、「こんな素敵な景色を見た」「こんなおもしろいことがあった」という会話しかありません。

40人~50人の集団で、分乗する車も 集合時間もほとんどいきあたりばったりの旅行なので、時には思い通りにならないことや、 予定外のことは当然起きている。しかし、誰も文句を言わないし、むしろ「予定通りにいかなかったおかげで、かえっておもしろい体験ができた」という話になります。

通常、自分がお金を払って観光ツアーに参加しているというときには、添乗員さんにとても威張りたがる人や、自分勝手な行動の人、飛行機の時間が遅れれば苦情を言う人が必ずいるものですが、そういう人はまったくいない。 

そして、常にそういう「良い仲間」と行動を共にしていることは、「よかったね」と喜び合うことの連続。それだけで猛烈に「功徳」を積んでいるわけですから、こんなに素晴 らしいことはありません。 

そう考えると、よい旅とは、どこへ行くかではなく、誰と行くかによって決まることがわかります。そのような「良い仲間」に囲まれていれば、どこへ行っても楽しいし、また同時に、「特別にどこかへ行かなくても楽しい」のです。

どこかへ行くから楽しい、のではなくなって、「どんなところでもいい」。 「旅」を「人生」に置き換えても同じことです。喜び合える人間関係に囲まれて人生を歩んでいけるならば、台所でタクアンを切っているだけで、充分に幸せを感じられるようになります。

小林正観さんは『で、何が問題なんですか』(清談社)の中で、仲間についてこう語っている。

お釈迦さまの第一の尊者と言われた、アーナンダはあるときお釈迦さまにこう言ったそうです。「お師匠さま、今日、私はあることで突然、頭の中に閃(ひらめ)きが生じました。

私たちは《聖なる道》というのを追い求めているわけですが、もしかしたら、よき友を得るということは《聖なる道》の半ばを手に入れたと言っていいのではないでしょうか」

《聖なる道》というのは、自分の中に悩み、苦しみ、煩悩がなくて、いつも幸せで楽しくて執着がない状態ですね。

すると釈迦は「アーナンダよ、“良き友”を得られたら、その《聖なる道》の半ばを手に入れたということではない」と言ったんです。釈迦は言葉を続けて「アーナンダよ、良き友を得ることは《聖なる道》の半ばではなく《聖なる道》のすべてを手に入れることである」。

同じ価値観をもち、同じ方向に向っている人たちを自分の友人にすることが、実は人生のすべてなんです。

人生においては、「よき仲間を得ること」が人生のすべてだとお釈迦様は言う。悪しき仲間といたら、悪しきことに手を染めるようになる。よき仲間といれば、自分の魂も磨かれ向上できる。

だから、誰と付き合っているか、誰が仲間かを見ればその人のレベルがわかってしまう。

良き仲間を得ること。そして、その仲間の成功や良きことを一緒になって喜べる随喜功徳の人でありたい。

今日のブログはこちらから☞人の心に灯をともす


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