運命は自分がつくる
今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『小さな修養論 4』(致知出版社)です。その中から「自己を丹誠する」という題でブログを書きました。
本書の中に「運命は自分でつくる」という心に響く話がありました。
松下幸之助さんはこう言われた。 「人間、九割は自分ではどうにもならない運命のもとに生きている。 その運命を呪ってはいけない。喜んで受け入れる。すると運がよく なる」 命は吾(われ)より作(な)す心得を説いて含蓄深い。
「命」について安岡正篤師はこう言っている。 「人間が浅はかで無力だと、いわゆる“宿命”になる。人間が本当 に磨かれてくると“運命”になる。即ち、自分で自分の“命”を創造することができるようになる。それを“命は吾より作す”という」 卓見である。
では、どうすれば人間を磨き、自分の命を創造できるのか。古来、多くの先哲がそのヒントになる金言を残している。
ここに三つの先哲の言葉を添えておきたい。
【一は、人の生くるや直し】『論語』 人が生きていく上でもっとも大事なものは、素直であることだ、と孔子は教える。心が歪ん だりねじ曲がったりしていると、人間性も個性も発揮されない。性格が歪んだ人は人生も歪む。孔子が素直を重んじた所以である。
次に、【性を尽くして以て命に至る】『易経』 ここでいう「性」は天から授かったもの、持って生まれた能力のこと。それをすべて発揮し尽くして天命に至ることができる、というのである。これは命を吾より作す上で欠かすことのできない条件といえる。
多くの先達がさまざまな表現でこの大事を説いている。坂村真民さんの詩にもこういうのがある。 なにごとも/本腰にならねば/いい仕事はできない/新しい力も生まれてはこない/本気であれ/本腰であれ
最後に、趙州禅師の話がある。 弟子が、名僧といわれた趙州に、「大困難がきたらどうしますか」 と問う。趙州はひと言「恰好(かっこう)」と答えた。恰好とは「よしきた」と いうことである。人生に起きる「まさか」にへなへなとなってはい けない。「よしきた」と応じる。その姿勢こそ吾より命を作す根幹となる。心したい。
「命は吾より作す」とは「運命は自分がつくる」という意味です。松下幸之助氏はそれを「どんな運命であっても、のろわず、喜んで受け入れる」と言っています。
それは、運命というものを自分なりに、あるいは自然のうちに前向きに生かそうとしてきたということです。家が貧しかったために、丁稚(でっち)奉公に出されたけれど、そのおかげで幼いうちから商人としてのしつけを受け、世の辛酸を多少なりとも味わうことができた。生来体が弱かったがために、人に頼んで仕事をしてもらうことを覚えた。学歴がなかったので、常に人に教えを請うことができた。あるいは何度かの九死に一生を得た経験を通じて、自分の強運を信じることができた。
こういうように、自分に与えられた運命をいわば積極的に受けとめ、それを知らず識らず前向きに生かしてきたからこそ、そこに一つの道がひらけてきたとも考えられます。『人生心得帖/社員心得帖』(PHPビジネス新書)
まさに、素直な心ですべてを受け入れ、それがたとえマイナスのことであっても、プラスに転じていく生き方です。
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