「思考する手」とは
今日のおすすめの一冊は、暦本純一氏の『妄想する頭 思考する手』(祥伝社)です。その中から「イノベーションとスカブラ」という題でブログを書きました。
本書の題名にもある「思考する手とは」について、本文より抜粋してみます。
新しいアイデアを生む才能より、手を動かし続ける才能のほうが、競争に勝つには重要だとさえ言えるだろう。スポーツの世界でも、センスは誰よりももあるのに練習が嫌いなせいで実力が伸びない選手がかなりいると聞く。それはやはり、ある種の「才能」がないということだ。努力は誰にでもできると思われているけれど、じつはそれこそが才能なのだという研究もある。
住む世界は違うが、野球のイチローさんにも同じものを感じる。とにかく練習が好きなように見える。いろいろな工夫をしながら練習方法を貪欲に改善することを楽しめるのが、彼の強みだろう。テレビで見ていると、練習について語る時の彼は目が輝いている。まるで成績を上げるために練習しているのではなく、練習の質を上げるために成績を上げているようにさえ感じる。現役を引退してからも練習を続けているのだから、あながち間違いではないだろう。
試行錯誤は、傍から見れば地道な作業だろう。でも、地道に手を動かすことによって、さらに別の妄想が湧いてくることもある。また、問題の構造を理解して「ああそうか、この手があったのか!」と解決策を思いついたときは、「既知×既知」の組み合わせから新しいアイデアを思いついたときと同じように気持ちがいい。
だから私は、何度も失敗を重ねながら手を動かす時間は「神様との対話」をしているのだと思っている。天使のようなひらめきは、腕を組んで考え込んでいてもやってこない。手を動かしながら、神様に向かって「こうですか?これじゃダメですか?やっぱり違います?」などと問いかけ続けると、いつか神様が「正解はこれじゃ」とひらめきを与えてくれる、そんなイメージだ。
ひらめきと聞くと、何かが突如として訪れるような印象を抱いている人も多いだろう。アルキメデスが、風呂にゆっくり浸かっているときとか、トイレで坐っているときとか、ぶらぶらと散歩をしているときなど、リラックスしているときにひらめきが訪れる…そういう幻想があるような気がする。
私もぶらぶらしているときに新しいひらめきを得ることはあるけれど、それも手を動かしているときの記憶が頭に残っているからだ。神様から声がかかるのは、研究室での作業中とはかぎらない。
「手を動かし続ける」ということは、頭の中ではなく、具体的に行動し続けるということです。野球のイチローさんのように、練習に工夫を凝らし続ける(手を動かし続ける)と、練習そのものが苦痛ではなくなり、楽しくさえなってきます。そうすると、それが試合で圧倒的な差(結果)となってあらわれてくるのですね。
つまり、長期にわたって練習することができるのも才能だということです。そして、コツコツと練習(研究)を続けていると、あるとき「ひらめき」がやってきます。それが「思考する手」です。頭の中での妄想と、思考する手の両輪が必要になるのだと思います。
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