今日のおすすめの一冊は、『1日1話読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書』(致知出版社)です。その中から、行徳哲男師の「野鴨の哲学」という題でブログを書きました。
本書の中に「野鴨の教え」という心に響く文章がありました。
◆デンマーク郊外のジーランドという湖に一人の善良な老人が住んでいました。老人は毎年遠くから飛んでくる野鴨(のがも)たちにおいしい餌を与えて餌付けをしました。するとだんだん鴨たちは考え始めるのです。
こんなに景色がいい湖で、こんなにおいしい餌がたくさんあるのに、何も苦労してまで次の湖に飛び立つことはないじゃないか。いっそのこと、この湖に住みついてしまえば毎日が楽しく、健康に恵まれているじゃないか、と。それで鴨たちはジーランドの湖に住みつくようになって、飛ぶことを忘れてしまうわけです。
しばらくはそれでもよかったんです。確かに毎日が楽しくておいしい餌にも恵まれていましたからね。ところがある日、出来事が起きます。毎日餌を用意してくれていた老人が老衰で死んでしまったのです。明日からは食べるものがない。
そこで野鴨たちは餌を求めて次の湖に飛び立とうとします。しかし、数千キロも飛べるはずの羽ばたきの力がまったくなくなってしまって、飛ぶどころか駆けることもできない。やがて近くにあった高い山から雪解けの激流が湖に流れ込んできました。
他の鳥たちは丘の上に駆けあがったり飛び立ったりして激流を避けましたが、醜く太ってしまった野鴨たちはなすすべもなく激流に押し流されてしまうのです。これが「野鴨の哲学」と呼ばれるものです。これはトーマス・ワトソンがIBMをつくるきっかけとなった哲学でもあります。(いまこそ、感性は力/致知出版社)より
◆「流れない水は腐る」という言葉がある。とうとうと流れる水でさえ、堰き止められ、新たな水が流れ込んでこないと、その水は腐る。淀(よど)んでしまっては水でさえ腐るということ。
餌をとる努力や緊張感があるから鴨は鴨でいられる。我々も、ぬくぬくとした生活に慣れきってしまい、野生を失ったら、あっというまに濁流に飲み込まれ死に絶える。様々な試練や困難もあるからこそ、緊張感を失わず生きていくことができる。
飛ぶことを忘れた鴨になってはいけないという「野鴨の教え」を胸に刻みたい。
《野鴨の哲学/キェルケゴールからの警告》 (行徳哲男・日本BE研究所所長)
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