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出会う人すべてが大事

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『宇宙が味方の見方道』(清談社)です。その中から「謙虚にならざるを得ない」という題でブログを書きました。

本書の中に「出会う人すべてが大事」という心に響く文章がありました。

例えば、この人と結婚するっていうときに、この結婚する人と出会うためには、あの人が存在し、あの人も存在し、あの人も存在した。どの人もいなかったとしたら、出会うことがなかった。だから、一人ひとりが全部重要だったと考えるのはいいけれども、結婚する人は重要だけど、あの人は、単なる過程でしかなかった、大した人ではなかったんだ、と思うのは本質論ではないでしょう。 

あの人ひとりでも欠けていたら、この人に出会わなかったのだから、すべての人が重要で、一人ひとりが全部同じ大きさ、同じ重さなんです。 結婚するというのは、そういう縁であって、結婚しないというのもそういう縁であっ て、結婚する縁と結婚しない縁と、どちらが重いのか? 同じなんですよ。

結婚する縁の重さを仮に100gとしたら、結婚しない縁の重さも100gで、どちらも一緒なんです。

 『老人と海』という大作を書いたアーネスト・ヘミングウェイという小説家がいます。 ヘミングウェイが、10代の後半ぐらいのときに、ある小さな町を歩いていましたら、突然に竜巻が起こって、巻き込まれてしまった。 

竜巻が去っていくまで目を閉じて我慢して待っていたヘミングウェイが目を開けてみると、その竜巻が、どこから持ってきたのかわからないけど、足元に本の切れ端が2、3枚落ちていた。その切れ端を読んだときに、「あっ、海のことを小説に書きたい」って思ったんだそうです。 

そこから、小説家を志して『老人と海』という大作を書いたんです。それは、道端に転がった切れ端の紙。要するにゴミですよね。 そのゴミを読むっていうことも重要なことではないと思うかもしれないし、それによって小説を書こうと思ったことも重要ではないと思うかもしれないけど、実は『老人と海』という小説ができてしまった後では、これはとても重要なことになるんです。 

一見、小さなことのように見えるけど、実は大きなことにつながっていたりして、大きなことと小さなことの区別ってできないんですね。 全部、導かれていて、偶然、偶発的に存在しているものは、何ひとつない。

ただ私たちは、未熟だからそう思えないだけなんです。 ドミノ倒しのこっちのドミノは小さく安っぽいもので、こっちのドミノは大きくて重要なものだ、と分けたがるのは私たちの三次元的な解釈であって、実はドミノは全部同じものです。同じ大きさの同じ材質の同じ重さの同じ形状のすべて同じものが順番に倒れてきている、ということです。

出会う人、一人ひとりが、すべて重要で、大切な存在なんだということがわかってき ますと、人生が面白く見えてくるでしょうね。

まさに、クランボルツ教授の「プランドハプンスタンス理論(計画的偶発性理論)」と同じだ。キャリアの8割は予期しない偶発的なできごとによって決まる、というもの。

偶然起こる出来事に、ことの大小や、重要か重要でないかという区別はない。なぜなら、ジグソーパズルと同じで、一つでもかけたら、パズルは完成しないからだ。

目の前の些細な出来事や、瞬間出会った人も、自分の人生には大きな影響を与える。出会う人、一人ひとりが、すべて重要で、大切な存在だと心に刻みたい。

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