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死後の世界はあるか

今日のおすすめの一冊は、渡部昇一氏の『60歳からの人生を楽しむ技術』(祥伝社黄金文庫)です。その中から「あらまほしきイメージ」という題でブログを書きました。

本書の中に「死後の世界はあるか」という心に響く文章がありました。

「死後も霊魂の世界がある」と信じるかどうか、という問題があります。 これは死後のことですから、私たち生きている者には「わからない」ことです。したがって、俗な言い方をすれば「どちらに賭けるか」ということになります。 

もし「死後の世界はない」ほうに賭けたら、どうでしょうか。死んでみて、これがアタリだった場合、「当たった。よかった」ということはありません。 死後の世界はなかったのですから、死んだらそれまで、あとは何もなしです。 

では、ハズレで、死後の世界が存在した場合はどうでしょう。ないと思っていた世界があって、そこで生きなければならないとなると、準備不足で困ったことにならないでしょうか。つまり「死後の世界はない」ほうに賭けた人はアタリで何もよいことはなし、ハズレで困ったことになるのです。 

「死後の世界はある」ほうに賭けた人はどうでしょうか。 ハズレで、死後の世界がなかったら、それまでです。何もなし。アタリで死後の世界があったら万歳でしょう。するとハズレで何もなし、アタリで万歳ということになります。どちらに賭けたほうが得か、明々白々です。

これは数学者パスカルが『パンセ』の中で説いた考え方です (パスカルは「神は存在するか否か」というテーマでこの論を展開しました)。

 死後の世界の有無(不滅の霊魂が存在するか否か)は、所詮、生きている者にはわからないことです。したがって、どちらに賭けるかは好みの問題かもしれません。 私はパスカルの論をなるほどと思うので、得をする可能性のあるほうに賭け、「老いて学べば則ち死して朽ちず」を目指しています。

そしてパスカルの「賭け」などを広く紹介したいと思って、パスカルの本も書いています(『パスカル『冥想録』に学ぶ生き方の研究』致知出版社)。 ただし、これは佐藤一斎の言葉を論理的に解説すれば、という話で、私が老いてなお学び続けるいちばんの理由は、それが楽しくて仕方がないからです。

「少にして学べば壮にして為すことあり/壮にして学べば老いて衰えず/老にして学べば死して朽ちず」という言志四録の中の佐藤一斎の言葉がある。

若い時に学問にはげめば、壮年になったときに意義ある仕事を為すことができる。/壮年になっても学び続ければ、気力や胆力が衰えることはない。/老年になっても学ぶことをやめなければ、死してもその生き方や精神は忘れ去られることはない。という意味だ。

特に、「老年になっても学ぶ」ということが、この死後の世界にも関係してくる。

「死後の世界はある」と思った方が、得な人生をおくれる。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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