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嫌なのか、こわいのか

今日のおすすめの一冊は、佐藤伝(でん)氏の『運を引き寄せる生き方』(プレジデント社)です。その中から「新しいものも、古いものも」という題でブログを書きました。

本書の中に「嫌なのか、こわいのか」という心に響く文章がありました。

若い頃は、「あれもやりたい、これも手に入れたい」と、どんどん世界を広げていくことを好みます。しかし、年齢を重ねるにつれ、新しいチャレンジは避けがちになります。何事に対しても、「いまさら」という気分になってしまうのですね。

もし、一〇〇歳まで生きると仮定した場合、五〇歳くらいなら、新しいことを始めても十分に習得でき、それを生涯にわたって生かすことができます。ダイビングの免許を取って、世界の海に潜ることもできるでしょう。

年齢に関係なく、分野に関係なく、なにか新しいことにチャレンジする機会に遭遇したとき、「やるべきか否か」を判断する、私流の基準をお伝えしましょう。

それは、「嫌なのか、こわいのか」。 

うまく理由付けはできないけれど、生理的に嫌なことや嫌な人って存在しますよね。 それらとは関わらないで、すっぱり切り捨てましょう。 一方で、こわいのなら、それでちょっとびびっているのなら、チャレンジする価値ありです。 

たとえば、あなたが友人にクリスマスパーティに誘われたとします。その日に予定はないけれど気が進まないというとき、その理由を考えてみましょう。 「参加者の中に、なんだか嫌な人がいる」とか、「本当のことを言うと、お酒を飲む場が嫌」とか、そこに「嫌」な要素があるなら参加する必要はありません。無理して 出かけても、お金も時間も自分の気持ちもムダに消費するだけです。 

そうではなくて、知らない人が来ることや、おしゃれな場になじめるかについてこわさを感じているなら、とりあえずGOしてみましょう。というのも、それは変化に対する「こわさ」であって、本当に危険が迫っているわけではありません。変化を受け入れることで素晴らしい新たな世界が拓けるケースが多いのです。 

私は先日、仕事場の近所にかなりいい寿司店を開拓しました。実は、以前から気になってはいたのです。ただ、外から店内が見えないし値段もわかりません。とんでもなく高いか、常連さんばかりの店だったらどうしようと考えたら、こわくて入れなかったのです。 

しかし、あるとき「入ってみて違うなと感じたら、すぐに出てくればいいじゃないか」と、思い切ってドアを開けてみました。 結果は大正解。最高の店でした。 「入って良かった!」 口数は少ないものの腕のいいご主人が握るお寿司はすごく美味しくて、フロア担当の奥さんの心遣いも細やか。おまけに、値段もとても良心的でした。 あのまま「こわい」とスルーしていたら、お気に入りの店を得るチャンスを失うところでした。

好き嫌いというのは、すべての物事を決めるときの最後の判断基準だ。どんな理路整然として正しいことであっても、嫌いならそれを選ばない。どんなに説得されようと、嫌いなら別の選択をする。これは、政治も、経営も、哲学も、スポーツや、趣味でも、すべてにわたって言えること。

また、「こわい」かどうかは、挑戦心や冒険心、あるいは変化することを恐れない気持ちがあるかどうか、という問題でもある。それは、失敗を恐れる気持ちをどうやったらクリアできるかということ。失敗し慣れている人は、挑戦すること恐れない。失敗の山の上に成功があることを知っているからだ。

「嫌なのか、こわいのか」という判断基準を大事にする人でありたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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