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苦労話をしない人
今日のおすすめの一冊は、本田晃一(こういち)氏の『非常識な運のつかみ方』(三笠書房)です。その中から『「たわけもの!」とは』という題でブログを書きました。
本書の中に「苦労話をしない人」という心に響く文章がありました。
今まで、いろんな成功者の方とお話ししてきて、1つ気づいたことがあります。最初は苦労話をするのですが、どんどん話を伺っているうちに、「実はそんなに苦労してないんだよね」と本当のところを明かしてくれる人が多いのです。
それなのに、なぜ苦労話をするかといったら、世間的に好印象だから。妬み嫉みを回避するため、という意味合いも大きいようです。特に日本人の間で根強い傾向なのかもしれませんが、「さんざん苦労した末に成功した人の話」、みんな好きですよね。
「成功は苦労とセットである」という刷り込みが、まだまだ強い気がします。そこに「めちゃくちゃラクして、楽しんで成功しちゃいました~!」みたいな人が現れると、「なんだこいつ、ラクして成功しやがって!そんなのただの運じゃないか」みたいな憎しみを向けられる恐れがある。
それを回避するために、あえて数少ない苦労話を引っ張り出してきて披露する、ということのようなのです。そう聞いて以来、僕は、成功者の方の苦労話のあとに成功の秘訣を聞いたときに、「苦労した」と「うまくいった」を結び付けずに受け取るようにしました。
みなさんも、「成功は苦労とセットである」と思い込んでいませんか。でも周りの成功者の人たちは、意外とそうでもないかもしれません。ですから、僕がそうしたように、まず相手の「苦労した話」と「うまくいった」を切り離して考えるといいでしょう。
少し相手の話を深掘りしたら、「本当はあまり苦労なんてしていなくて、楽しんでいるうちにうまくいっちゃった」と明かしてくれる可能性もあります。そうなったら、それこそ全力で仲良くなりに行くといいでしょう。
楽しんで成功した人は、「苦労した」という傷痕がないので、心に余裕があり、自然体で輝いています。そういう人にとって、「成功」とは労せずして得たもの、いってしまえば「空気」みたいなものです。
「ここにある空気は俺のものだから、吸うなよ」なんて言う人はいませんよね。それと同様、楽しんで成功した人は「この成功は俺のものだから、教えない」とはならない。惜しげもなく、教えてくれるものなのです。
◆「苦労したことがない」という人は、自分のアイデアを惜しげもなく教えてくれる。苦労に苦労を重ねて手に入れた、という思いがある人は、「簡単にこのアイデアを人に教えるものか」と出し惜しみする、ケチクサイ人だ。
「苦労したことがない」というと軽くみられる。苦労して手に入れたモノの方が価値があると思われているからだ。「そんなのただの運じゃないか」と。
しかし、「苦労」も「病気」も「手痛い失敗」も、それをどうとらえるか、という見方次第、考え方しだいだ。つまり、そこには「幸」も「不幸」もない。それを「幸せ」だった、「ありがたい」と考える人もいれば、「最悪だった」「ツイてない」と思う人もいる。
「苦労話をしない人」は粋でカッコいい。
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