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運命をやんわり受け入れられる人
今日のおすすめの一冊は、曾野綾子氏の『人間の分際』(幻冬舎新書)です。その中から「説教と、昔話と、自慢話はしてはいけない」という題でブログを書きました。
本書の中に「運命をやんわり受け入れられる人」という心に響く文章がありました。
たとえば、入社試験を受けて、「彼は入ったのに、私は落ちた」みたいな話がよくあるでしょう。 私は自分がもし落ちていれば、必ず、落ちたほうがよかったんだ、と思うたちです。
この前、第一志望の会社に就職できなかったという人に会った時、 「その会社にはすごく嫌な奴がいて、入らなかったほうがよかったのよ」 と言いました。 「自分の良さをわかってくれない会社なんか入らなくてよかった」でもいいのですが、私がその会社に入っていたら将来、何か自分に悪いことがあるだろうという気がする。
そして、受かった第二志望の会社に、自分がやるべき任務があったんだ、と受け取るのです。 楽観主義者だと言われればそうですが、私はうまくいかない時はいつも神さまから「お前は別の道を行きなさい」という指示があったと思うんですね。
だから運が悪い場合はそこでぐずぐず悩むのではなくて、運命をやんわり受け入れられる心理でいたい。 そして、次の運命に協力的になる。 自分で望んだわけではないけれど、それによって神さまは私に何をご期待ですか?と考えるわけですね。
そうすると、たいてい運命が開けてくるものです。 事実、最善ではなく次善で、うまくいった人はたくさんいます。
「ほんとうは三井物産か三菱商事に行きたかったけれど、競争が激しくて、入れんかった。 それで地方の小さな会社に入社したら、大学を出ている社員も少ないし、あんまり頭の切れる同僚もいなくて、気がついたら社長になっとったわ」 というような人は、実に多い。
「オレは、こんな会社じゃなくて、もっと一流の会社に行きたかったんだ」と嘆くのではなく、「拾っていただいてありがとうございました」という謙虚な気持ちで、一所懸命にそこで働く。 そうすると、結構うまくいくことが多いですね。
《思い通りにいかないから人生は面白い》
人間の価値は、思い通りにいかなかったときに、どう考えるか、どんなふうに行動するかによってわかる。
どんな理不尽なことでも、それを従容(しょうよう)として受け入れるか、それとも不平不満と愚痴のオンパレードで過ごすのか。 うまくいかなかったり、落ちぶれてしまったときに、どう動くか。
見苦しくジタバタするのか、はたまた従容という、(危機のときにも)ゆったりとして慌(あわ)てて焦(あせ)ったりせず、淡々と受け入れる。 「入れなくてよかった」「失敗してよかった」「うまくいかなくてよかった」と考えることができる人は、うまくいかなくても、必ず何度でも立ち上がることができる。
運命をやんわり受け入れられる人、でありたい。
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