得にならないことをいかにやるか
今日のおすすめの一冊は、鍵山秀三郎氏の『大きな努力で小さな成果を』(育鵬社)です。その中から「人格と人間性を高める」と題してブログを書きました。
本書の中に「得にならないことをいかにやるか」という心に響く話がありました。
「心の敷居」を高くし、困難を乗り越えていくには人間力を高めることが大切です。私の好きな言葉の一つに、「事上練磨(じじょうれんま)」があります。仕事や人生を通じてたくさんの経験を積み、自分を練り、磨き上げていくことを意味します。
そのうえで私が具体的な指針として いるのは、「自分にとって得にならないことをいかにやるか」ということです。得になることしかやらなかったら、鍛えることにはなりません。
人には「器量」というものがあり ます。自分にとって都合のいいことや楽なこと、益のあることしかやらなければ、器量が小さい人間になっていくでしょう。 そのためにも、自分ではなく社会に対して絶えず目を向けることです。たとえ行動そのものはささやかでも、社会に目を向けていれば、その人の存在感は大きくなります。
中国に紀元前五00年に亡くなった晏子(あんし)という人がいます。その人が残した言葉に「益はなくても意味はある」があります。益がなければ意味がないと考えるのが普通ですが、 晏子は、この言葉どおりの生き方を一生涯貫いたのです。
物事の判断基準はいくつかありますが、昔の日本人はまずは善悪で、その次に損得や好き嫌いがきました。今の日本人は、真っ先に損か得か、あるいは好きか嫌いかの物差しで計り、善悪の基準が忘れ去られています。損得は普遍的ではありません。得だと思っても、 後から損になることは数多くあります。人を育成するにしても、基本的にはそこから始まると考えています。
もう一つ加えるならば、忍耐心が必要です。今や日本人には忍耐心がなくなりました。 忍耐心がなくなるとどうなるかといえば、すぐに怨恨(えんこん)を抱くようになります。その怒り・ 恨みの矛先が無差別に人に向かい、それだけのパワーがない人は、自らの命を絶ちます。 そういう風潮にあるのが今の日本でしょう。
「損と得とあらば 損の道をゆくこと」という、ダスキンの創業者、鈴木清一氏の言葉があります。すると、あるとき、こういうことを言われたそうです。
「損の道をゆけ、というのはわかりにくい。いっそ〝正しい道をゆけ〟としたらどうか」という他人からの問いに対して、「何が正しいとか正しくないとか、人間にわかるものでしょうか。それは神様だけにしかわからない。人は自分がいつでも正しい、と主張するから争いが絶えない。そこを、多少、分が悪くても、相手によろこんでいただけるなら損の道をゆく。これなら神様に相談しなくても、自分でできる解決の道である」と、鈴木は語ったそうです。
一燈園という、西田天香氏の創設した奉仕(托鉢)団体に属した鈴木清一氏ならではの言葉です。少し損をして生きると人生のトラブルは少なくなります。逆に、我先に、自分が得をしようと思って生きるとトラブルが続発します。対立や競争の真っ只中に入ってしまうからです。
少し損して、相手に善きものを与える、人に喜んでもらう、という姿勢になると対立はみるみるうちに消えていきます。すると、人間としての器量が知らず知らずに増えることになるのです。
得にならないことをいかにやるのか、という言葉を心に刻みたいと思うのです。
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