日向だけの男は暴力である
今日のおすすめの一冊は、藤尾秀昭氏の『小さな人生論』(致知出版社)です。その中から「天からの封書」という題でブログを書きました。
本書の中に「日向だけの男は暴力である」という心に響く一節がありました。
「霜に打たれた柿の味、辛苦に耐えた人の味」――しみじみと胸に響く言葉である。軒端に吊るされた渋柿は冬の寒天にさらされ、霜に打たれることで何とも言えぬ美味に染まる。人間も同じである。辛苦に耐えることで人としての風味を増すのだ。
ある文芸評論家が、こう言っている。 「日陰がなく、日向(ひなた)だけの男は暴力である」 病気を知らず、逆境に悩んだこともなく、挫折に苦しんだこともない。人生の陰影に乏しく、ただ明るいだけの男は、存在そのものが堪え難い、というのである。
同じことを別の観点から言ったものだろう。 しかし、柿は霜に打たれれば確実に旨味を増すが、人間は辛苦に耐えればそれでいいのだろうか。 辛苦を味わうことで人の痛みがわかり、思いやりに溢れた滋味を身につける人がいる。だが、辛苦の経験が偏狭さとなり、傲岸不遜、悪どくしたたかになってしまう人もいる。
大事なのは辛苦そのものではなく、 耐えるというその一語の重さにある。 辛苦を味に変えるような人生をこそ、生きたいものである。
「人は神ではない。誤りをするところに人間味がある」という山本五十六の言葉があります。人間味とは、人として温かみや優しさ、思いやりのあることをいい、なんとも情味ある人柄のことを指します。
それは、良寛和尚の句「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」と通じるものがあります。いいところも悪いところもさらけだして生きていく姿こそ、人間味があり、魅力ある人です。
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