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言葉と道具と創造

今日のおすすめの一冊は、太刀川英輔(たちかわえいすけ)氏の『進化思考』(海士の風)です。その中から「創造性と年齢の関係」という題でブログを書きました。

本書の中に「言葉と道具と創造」という心に響く文章がありました。

生物は、自分自身の身体を、自ら望んで進化させることはできない。トレーニ ングして筋骨隆々になることはできても、便利だからといってもう一本手を生やしたり、構造自体を変えることはできない。

こうした基本構造を変えるには、数百万年という長い年月を必要とする。私たち人類も、二〇万年前にホモ・サピエンスに進化して以来、DNAのレベルでは、今日に至るまで九九.九%は同一のままである。 

しかしながら二〇万年前と今とで、私たちの身体の構造はほとんど変わっていないのに、社会や行動は同じ生物とは思えないほど激変してしまった。この変化を生み出した原因こそ、まさに道具の創造をおいてほかにない。 

道具とは何か。それは擬似的な進化だ。道具はたいていの場合、それまでできなかったことを可能にするために発明される。

たとえば五〇〇〇年前に、アジアで「箸」が発明された。熱い食べ物をつかんだり、衛生的に食べられるようにするためだ。この箸は、指の持つ身体の限界を拡張するために生まれたと説明できる。箸と同じように、人間の身体が不自由だからこそ、身体の一部を進化させるためにさまざまな道具が作られたと考えると、あらゆる道具の理由に説明がつく。

創造性は、擬似的な進化を人類にもたらしてきたのだ。この擬似進化能力によって、私たちは身体を拡張し、無数の道具を使って日々を生きている

たとえば、人の「目」は遠くや微細なものが見えないので、望遠鏡、顕微鏡、はてはビデオ通信まで発明した。人の「声」は遠くまで届かないので、発声法を体得し、メガホンやマイクを作る。すぐに食べ物にあたりやすい「消化器官」に合わせるために、料理法を工夫し、調理道具や冷蔵庫を作った。

傷や寒さに弱い「皮膚」を補うために衣服を生み出した。すぐ痛くなり、運動能力の低い「足」を進化させるために靴や乗り物を生み出した。忘れっぽい脳が大量・正確に「記憶」できるように本や記憶装置を発明してきた・・・。

こうして道具をやむことなく創造し、私たちは擬似的に進化しつづけ、地球上で最強の生物となった。

万物の根源をなす素粒子の世界から深遠な宇宙空間までを観察する千里眼と、超音速で空を飛び、数百年忘れない記憶力を持ち、通信網によって地球の裏側にも届く声をそなえ、とうとう人間の知能を超える可能性を秘めた「電子の頭脳」を発明し、最強の生物になったのである。

こうしたさまざまな前提を踏まえて、私は、創造という現象について次のような仮説を立てた。

《創造とは、言語によって発現した「擬似進化」の能力である。》

こう考えると、つじつまがぴったり合う。言語の歴史はちょうど約五万年。石器時代を乗り越えた頃の人類の歴史と重なる。それ以降、人類は実際に道具の発明という「擬似進化」によって、今この瞬間にも急激なスピードで進化しつづけているのだ。

イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』の中に、人類が大きく変化する革命的なことが3つあったと書かれている。その中の最も大きな革命が「言語によるコミュニケーション能力」だ。

言語が発明されたことにより、身の回りの危険や食料についての情報のやりとりができる。そして、その情報のやり取りの中で、道具が発明され、次々に改良され、進化した。

まさに太刀川氏のいう「創造」、つまり、『言語によって発現した「擬似進化」』のことだ。

「言葉と道具と創造」についての考察を深めたい。

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