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老人が多く登場する日本の昔話

今日のおすすめの一冊は、石川善樹(よしき)氏の『むかしむかし ウェルビーイングがありました』(KADOKAWA)です。その中から「銀メダリストのほうがその後の人生で成功しやすい」と題してブログを書きました。

本書の中に「老人が多く登場する日本の昔話」という心に響く文章がありました。

「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました」 日本で生まれ育った人であれば、おそらく誰もが聞き覚えのある有名なフレーズでしょう。
でもちょっと考えてみてください。日本の昔話は親が子どもに語るお話であるはずなのに、老人が主役の物語がやけに多いと思いませんか? 西洋の昔話と比べると、この傾向はとくに顕著です。
西洋の昔話では多くの場合、子どもが主人公です。幼い子が悪い奴に騙されずに帰ってくる。冒険して宝物を見つける。結婚して幸せになる。すべてではありませんが、明らかにそういった立身出世の展開が多い傾向はあります。対して、日本の昔話はおじいさんとおばあさんがやたらと登場し、かつハッピーエンドも少ない。物語のスタートとゴールにほぼ変化がない話も少なくありません。
この違いを最初に指摘したのが心理学者の河合隼雄でした。 例えば、「うらしまたろう」。 主人公の浦島太郎は青年のイメージがありますが、もとの話では40近くの独身中年男性です。その彼が亀を助けて竜宮城へ行くことになる。竜の宮殿という名前を聞くと、西洋の文化圏で育った人の多くは「ドラゴンが出てくるんだな」と考えるそうです。
ところが、竜宮城に着いて現れたのは乙姫さまです。「じゃあここから太郎はドラゴンとファイトして姫を救うんだな。Go!Taro!」 と期待して読み進めても、悪い敵も ドラゴンも一向に出てきません。楽しく飲み食いして竜宮城を後にし、お土産の箱を開けたら中からお宝ではなく煙が出て太郎はおじいさんになりました。おしまい。
西洋文化で育った人からすれば、徹頭徹尾、意味不明なストーリーでしょう。 河合隼雄はこうした例を取り上げながら「日本の昔話は世界の物語の中でもかなり特殊だ。ここに日本人の意識構造があるのでは」と分析しています。
このような昔話や落語から見えてくるのは、「ゼロに戻る」ことを良しとしてきた日本人の心性です。西洋のようにマイナスからゼロ、ゼロからプラスへと上を目指すのではなく、ゼロに戻ることに日本人は価値を見出してきたことが窺えます。
さらに私なりにもう一歩踏み込んで解釈すると、日本的ウェルビーイングの原型は 「ゼロに戻る」にあると考えています。それが日本人にとっては長らく「幸せ」のかたちだったのではないでしょうか。
「ゼロに戻る」ことを良しとする。これは裏を返せば、「プラスに行きすぎると不安になってしまう」ことの表れかもしれません。「上昇するほど幸福になれる」と信じられてきた西洋的思想とは明らかに対照的です。ウェルビーイングや幸せは、とても複雑で変容的な概念です。

石川善樹氏は昔話には「2つのN」を愛でるといいます。一つ目の「N」はNobodyです。昔話や落語に登場する熊さんや八っつぁんなどは、「誰でもない」市井の人々です。どこにでもいそうな、ごくごく普通に暮らしている隣人。有名人が好まれる西洋的な昔話とは違います。

二つ目の「N」はNegativeです。日本語にはネガティブともいえる状態を愛でる言葉がずば抜けて多いということです。その象徴が「わびさび」です。侘しさ、寂しさと美や情緒が入り混じったこの言葉は、他国の人に説明するのが難しい言葉です。

そして、石川氏はネガティブを好み、否定を受容してきた日本文化から生まれてきたもののひとつに「謙虚」があるといいます。日本人は他国に比べると自己肯定感が低い人が多いのですが、日本人にとっては、自分で自分を肯定することは「粋じゃない」とされてきたからだそうです。

「ゼロに戻る」という淡々とした毎日こそが、日本的ウェルビーイングだと思うのです。

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