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子どもの頃の本田宗一郎

今日のおすすめの一冊は、小川晶子(あきこ)氏の『オタク偉人伝』(アスコム)です。ブログも同名の「オタク偉人伝」として書きました。

本書の中に「子どもの頃の本田宗一郎」という心に響く文章がありました。

宗一郎がエンジンに心ひかれるようになったのは4,5歳の頃。家から4キロはなれた精米屋さんにある「焼き玉エンジン」とよばれている発動機が大好き!ドンスカ、ドンスカ。体にひびくエンジン音が気持ちよく、時間を忘れてしまいます。人によっては「うっ」と鼻をつまみたくなるオイルのにおいも、たまらなくいいにおい。よくおじいちゃんにせがんでつれてきてもらっていました。
そんな宗一郎がはじめて自動車を見たのは、8歳の頃。村にT型フォードがやってきたのです。すっとんでいく宗一郎。パンパン!エンジン音をひびかせて、黒い箱型の怪物が近づいてきました。「すごいすごい!エンジンで走っている!」そのかっこいいこと!宗一郎は必死に自動車を追いかけます。たまらず「ヤッ」とうしろに飛びつきました。
ガタガタ、パンパン、パンパン!エンジンが体にひびく感じがたまりません。走る車に飛びつくなんて危ないけれど、当時の自動車はおそいからセーフ。ぴょんと飛び降りて、今度はオイルがしたたり落ちている地面にへばりつきました。クンクン。「オイルのにおいだぁ!」
しまいには手や胸にベッタリくっつける宗一郎。オイルの香りを身につけてうっとり…って香水じゃないんだから。宗一郎にとって、エンジンの音やオイルのにおいは「夢とロマン」あふれるものだったのです。
11歳の頃、今度は飛行機のショーがあると聞きました。自動車よりはるかに大きなエンジン音。 見たい! どうしても見たい。胸がドキドキしてきました。場所は、村から約2キロはなれた浜松。お父さんに言ってもゆるしてもらえないだろうと思った宗一郎は、一人で冒険を計画します。
まず親の財布からこっそりお金をくすねる。そして何食わぬ顔で小学校に行くフリをして......、 お父さんの自転車に飛び乗り、浜松へ向かう! 飛行機見たいー 「あちゃー、尻がサドルに乗らないや」。大人の自転車は大きすぎました。でも、めげません。サドルの下の三角の部分をつ かって、三角乗りでペダルをふみつ づけました。半日がかりですが、とにかく飛行機を見たい一 心です。
ついに到着しました。「やったぁ、飛行機が見られるぞ」と思ったのもつかの間。ショーを見るためには「10銭」と あります。ショーの会場のまわりには塀があって、お金を払わないと中に入れないのです。持ってきたのは2銭。足りません。ガーン。どうする、宗一郎!?
「あの木だ!」。宗一郎は塀のすぐ 外にある松の木に必死によじのぼりました。もちろん、見つからないようにかくれて。 「エンジンの音だ!オイルのにお いだ!」。飛行ショーがはじまりました。宙がえりや急降下、低空飛行。 宗一郎は手に汗をにぎり、少しも見のがすまいと一生懸命見ました。 帰り道は、飛行士になった気分。 帽子のツバをうしろに向けてかぶり、 キリッ。ビューン。大人の自転車も、 軽い軽い。ニヤける口元を感じながら家に帰ると......。
「宗一郎! 学校さぼってどこ行ってた!」 お父さんにどなられました。もちろん覚悟のうえです。でも、飛行ショーを見に行っていたことを正直に伝えたとたん、 お父さんの目がキラッとかがやきました。「おまえ、飛行機見たのか?どうだった?」。宗一郎が身ぶり手ぶりをくわ えて様子を伝えると、お父さんも感激。
実は、お父さんも飛行機を見たかったんです。ロマンを語り合い、親子でもりあがってしまいました。 学校を、卒業してからは、自動車修理工場で働くようになりました。そして42歳で「本田技研工業」を創業。「自分の手でエンジンをつくりたい」 熱い想いを胸にチャレンジしつづけ、小型でパワフルなエンジンの開発に成功します。そして、オートバイやレーシングカー、自動車で「世界のホンダ」として知られるようになっていくのです。

本田宗一郎氏をはじめとして、多くの偉人たちは、子どもの頃から、何かに熱中したり、ハマっていました。昆虫だったり、化学だったり、電子機器だったり、測量だったり…

本田宗一郎氏はその中でもピカ一の自動車オタク、飛行機オタク、エンジンオタクでした。子どもの才能を見抜き、それを伸ばす教育が、これからますます大事になってくるのだと思います。

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