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不燃性の人、可燃性の人、自燃性の人

今日のおすすめの一冊は、北尾吉孝氏の『人間学のすすめ』(致知出版社)です。その中から「ネアカ、のびのび、へこたれず」という題でブログを書きました。

本書の中に「不燃性の人、可燃性の人、自燃性の人」という心に響く一文がありました。

稲盛和夫さんの言葉に、「人間には、自分で燃える自燃性(じねんせい)、周りから焚きつけられて燃える可燃性、周りが燃えても燃えない不燃性の3タイプがある」というものがあります。 

あるジャーナリストはこの言葉を受け、JAL再建に乗り込んだ時、幹部たちは「不燃性ばかりだった。そこで稲盛氏は自らの言葉で彼らの心を焚きつけ、困難に立ち向かう姿を行動で示し、不燃性を可燃性へ、さらに自燃性へと変えていった」と評しています。 

この不燃性の人につき稲盛さんはまた別の機会に、「火を近づけても、エネルギーを与えても燃えない者、つまり多少能力はあったとしても、ニヒルで感動することができない人は、物事を成し遂げられない」とも言われています。 

『論語』に、「憤せずんば啓せず。俳せずんば発せず。一隅を挙げてこれに示し、三隅を以て反らざれば、則ち復(ま)たせざるなり」という孔子の言があります。

つまり孔子 は、「学びたいという気持ちがじゅくじゅくと熟して盛り上がってくるようでなければ指導はしない」、「今にも答えが出そうなのだけれどなかなか出ずに口籠っているようなギリギリの所にまで来なければ教えない」、「一隅を取り上げて示したら残りの三つの隅がピンとこなければ駄目だ」と言っているのです。 

何らか教え導いていく上で効果があるのは、やはり本人自らが「やってやろう」と いう気が起こって「もっと頑張ろう」と発奮し、そして事に向かって主体的に動くケ ースです。

孔子の有名な言葉に「発憤忘食」(はっぷんぼうしょく)がある。憤(いきどお)りを発しては食を忘れることだ。

葉公は、「孔子とはどのような人物か」と孔子の弟子の子路(しろ)に尋ねたが子路は何も答えられなかった。それを聞いた孔子は、子路に「お前は何故こう答えてくれなかったのか」といい、「孔子は、憤慨したり、発憤したり感激して、食事をとるのも忘れる人だ。また、道を究めることを楽しんでは、憂いを忘れ、年を取ることも忘れている人だ」と。

孔子というと、謹厳実直の士のように思われるが孔子こそ、激情の人であった。現代は、クールでスマートな人がもてはやされる。しかし、何かことを成すときは、「激」や「憤」がなければ、人は起爆しない。

自ら燃える「自然の人」でありたい。

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