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魅力の源泉は「愛語」

今日のおすすめの一冊は、松尾一也氏の『しなやかに生きる人の習慣』(ディスカヴァー携書)です。その中から『「これから」が「これまで」を決める』という題でブログを書きました。

本書の中に『魅力の源泉は「愛語」』という心に響く文章がありました。

魅力を出せ!といわれてもすぐに取り出せるモノでもありません。 人間的魅力とは一言で表すとすると いつまでもそばにいてほしいなぁと感じさせる人です。 たくさんの出逢いを重ねてきて思うことですが、また会いたい!と思う人の共通点は慈愛を感じさせる人です。

 ある有名映画監督と何度も顔を合わせる機会があり、せっかくなので笑顔で話しかけましたが毎回、そっけないレスポンスなのです。 共通の話題をみつけて話をふってもにべもない。

そりゃ誰に対してでも愛想よくはできないでしょうが、ほぼ月に一回は会う顔見知りとなっているのに、最低限の対話もできない幼さを感じました。 

一方、もう一人の有名映画監督は、齢80歳をゆうに超えていますが、会うたびに慈顔(じがん)で接してくれます。 「松尾さんのお嬢さんはいくつになられましたか?」と丁寧に尋ねてくれます。 その人の価値や魅力というものは、その人の行いに表れるものなのです。 

その行いの中心となすのが「愛語」です。 そこで思い出させるのが良寛禅師(1758~1831)です。 良寛さんは自分の寺を持たず、各地を回り、書や歌、俳句に親しみ、それこそ童(わらべ)と無心に遊んで慈しんだという人物です。 

決して威張らず、偉そうなことで道を説かず、それでいて皆を感化させたエピソードがたくさん残されています。

その良寛さんが『正法眼蔵』の「現存の身命の存する間、好んで愛語すべし」を愛唱(あいしょう)していたそうです。 愛語というのは、人と接するとき、慈愛の心で接し、慈愛の言葉を施すということで す。 

良寛さんがそこにいるだけでみんなが幸せを感じて、悩みが消えていくと言われるくらい温かい波動を出していたのでしょう。 「ありがとうございます」「ごきげんよう」「さようなら」などの愛がこもった言葉を多用することが基本になります。 

私もことあるごとに「ありがとう!」を伝えることを習慣にしています。 カフェでコーヒーを受け取るときも「ありがとう!」。ガソリンスタンドで窓を拭いてもらう時も顔を出して「ありがとう!」。 エレベーターで開けて待ってくれた人に「ありがとうございます!」。

 その言葉を自分が最も聴いているわけです。 中年以降の役割は、特に若い人たちに「ありがとう!」「頑張ってね!」をたくさん 贈ることだと思います。
 《愛ある言葉を選び、発する習慣を身につける》

◆小林正観さんは、良寛和尚の「愛語の心」についてこう述べている。

「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。それならいくらでもあげることができるから」

良寛和尚は、自分の口から出てくる言葉を「あたたかい言葉」「やさしい言葉」「思いやりに満ちた言葉」にしたいと思っていたようです。』(ありがとうの魔法/ダイヤモンド社)より

口から出る言葉が、いつもトゲトゲして冷たい人がいる。反対に、口から出る言葉が、いつもあたたかくて、やさしい言葉、思いやりに満ちた言葉という「愛語」の人がいる。どちらの人と「一緒にいたい」か「また会いたい」か、は言うまでもない。

『魅力の源泉は「愛語」』

口から出る言葉すべてが、「愛語」で満たされた人でありたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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