「奇跡のノート」をつくる
今日のおすすめの一冊は、ステファノス・クセナキス氏の『うまくいく人が仕事以外でやっていること99』(文響社)です。その中から「小さいことで人生が決まる」という題でブログを書きました。
本書の中に『「奇跡のノート」をつくる』という心に響く文章がありました。
この問題について客観的になれと言われても無理だ。自分を救ってくれたものに対して、どうして客観的でいられるだろう? 日々の記録を書きつづけてきたおかげで、僕は人生を変えることができた。この10年間はきちんと定期的に書いている。このノートは、喜びの記録、あるいは、感謝のリストと呼んでもいい。
そんなわけで、僕はいい感じのノートを買って、その日にあったすばらしいことを書き留めることにした。最初は、ひと苦労だった。ノートを開いて向き合うたびに、なんとも奇妙な気分になる。 ブラインドデートで初対面のデート相手と向きあって、何を言えばいいのかわからないような心持だった。
そのうち、僕も少しずつ心を開くようになっていった。言葉をなくすほど美しかった日の出のことを書いてみる。それから、楽しかった会話のこと。少しずつ殴り書きを繰り返し、何かを書き留めていった。
テニスをした経験があればわかると思うけど、こつこつ続けていれば、日に日に腕は上がっていくものだ。僕も毎日少しだけ長く書くようにして、ゆっくりと書くことに慣れていった。こうして、人生には、僕の気づかなかった美しいものが、数かぎりなくあることに気づきはじめた。
美はいつだってそこにあったのに! いなかったのは自分のほうなのだ。こうして、奇跡のノートは、僕のカメラになった。肌身離さずノートを持ち歩き、美しい瞬間をカメラにおさめて現像する。 でも、何よりも幸せを感じるのは、写真を「アルバム」にはるときだ。 一日の終わりに、一枚一枚はっていくと、魔法のように幸せが感じられる。
やがて、僕は自分に課題を課すようになった。感謝の気持ちを感じたことを 20 書こうと決めて、実際に20 書いてみた。それは、ベッドから出たら両足が支えてくれたことや、温かいシャワーを浴びられるお湯が出たことや、くたびれはてた一日の終わりに温かいベッドが待っていてくれたことだ。
こうして、僕の人生は変わった。というか、僕が変わった。 美を見つけた。 というか、美に釘づけにされた。 人生は前のままだった。壮大になったのは、人生に対する態度だ。だから人生も壮大になった。 あれ以来、数えきれないほどのノートを書き溜めてきた。ノートは本棚に立ててあって、ときどき気が向いたら読み返す。
2回目に読んでも、最初と同じように幸せになる。それは意図的な喜びだね、と誰かに 言われたことがあるけど、確かにそのとおりだ。 宅配サービスがドアのベルを鳴らして届けてくれるのを待つんじゃなくて、フライパンを出して手料理をつくる。自分のやりたいときに。この両手を使って。そう考えると、手づくりの喜びと言ってもいい。何ものにも代えがたいおいしさだ。
今朝、雑貨店に立ち寄ってミネラルウォーターを買った。冷蔵庫を開けると、ボトルは氷みたいに冷えていた…猛暑のさなかにこれが飲みたいと思うような冷え方だ。レジでお金を払いながら、僕は言った。 「ここの水って、最高ですね!」 「そんなふうに言ってもらって、やる気が出たよ」と、レジ係がにっこりして答える。 「僕もです」
「幸せ」はそこにあるかないかではなく、「気づく」ものだといいます。たとえ、目の前に「幸せ」がぶら下がっていたとしても、それに気づかなかったら、無いのと一緒になってしまいます。これは「喜び」や「感謝すること」も同じです。
だからこそ、「喜び」や「感謝すること」を日々書き留めるという作業が必要になるのです。放っておいたら、一瞬にして通り過ぎてしまう「喜び」や「感謝すること」に気づくという練習です。
「奇跡のノート」をはじめてみたいと思います。
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