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思いを持たないということ
今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『宇宙が応援する生き方』(致知出版社)です。その中から『「夢」や「目標」の対極は?』という題でブログを書きました。
本書の中に「思いを持たないということ」という心に響く文章がありました。
思いをもたないという話を生まれて初めて聞いた人は、「思いを持たない人生でいいんですか」と必ず聞きますね。それはなぜかと言うと、私たちは、「夢や希望を持って、達成目標、努力目標を設定して、それを実現しないやつは人間じゃない」 という教育を受けてしまったからなのです。
私たちは、目標に向かって努力しなくてはいけないと勘違いさせられているのです。人は一人で生きていると「ヒト」、人の間で生きていて「人間」。その前提の上に立って、私たちが生きている間に何をすればいいのかと考えると、「いかに喜ばれる存在になるか」ということに尽きます。
喜ばれる存在、それを一言で言ってしまうと、どうやって頼まれごとをされやすい人になるか、ということです。自分の達成目標、努力目標を設定して、いかにそこに向かって生きるかということでは、どうもないみたいです。これはある種の宇宙の法則です。
では、なぜ目標を設定して生きるのがいいことだと思わされてしまっているかと言うと、つまり、比べ合うこと、競い合うこと、人の上に立って抜きん出ることが人生の目的だという西洋教育的なものを受けてしまってきたからなのです。
小学校、中学校、高校、大学、あるいは、会社、社会、家庭の中でも、すべからく同じです。ありとあらゆる教育機関で、自分の達成目標、努力目標、夢や希望を掲げてそこに向かって努力しないやつはバカだ、クズだという教育を受けてきました。
ところが、どうも本当の幸せ感というのは、そういうふうに競争して比べ合って人の上に抜きん出ることではないようです。人は一人で生きていると「ヒト」、人の間で生きていて「人間」なのだと、言っています。
人の間で生きていて、「あなたがこの世に生まれてくれてよかった」「あなたがこの世に存在してくれてよかった」と言われて初めて、そこに「人間」としての価値が生まれるみたいなのです。努力して頑張って高いところへ上がったとしても、どうも「人間」としての宇宙的な本質はそこにはないみたいです。
◆人があの世に行くとき、聞かれることが二つあるという。 一つは、「人に喜んでもらったか?」、もう一つは「人生を楽しんできたか? 」。
この二つの問いには、「目標達成」とか、「夢の実現」とか、「大きな会社をつくる」というような項目は入っていない。
「人に喜んでもらう」「人生を楽しむ」というのは、今、目の前のこと、現状の中で、如何に「人に喜んでもらうか」、それを「面白がるか、楽しむか」を考え、実践すること。与えられた環境の中で、如何に文句をいわず、ニコニコして楽しんで仕事をし、まわりを喜ばせるか、ということ。
まさに、「置かれた場所で咲きなさい」という渡辺和子さんの言葉がぴったりとくる。
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