運命という出会い
今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『運命好転十二条』(三笠書房)です。その中から「誘われなくなる人」という題でブログを書きました。
本書の中に「運命」についてこんな素敵な文章がありました。
「運命」というのは、「運ばれてくるもの」「運ばれてくる命題」のことを言います。「運ばれてくるもの」というのは、大変おもしろい表現です。何によって運ばれてくるのかというと、「人」によって運ばれてくるのです。「人との出会い」の積み重ねが「運命」になります。
狭い意味で「人との出会い」ですが、広い意味では「生物すべてとの出会い」を含みます。たとえば、どこかでサボテンの鉢植えを買い、窓辺にずっと置いていたとします。何かのときに2階の窓から1階に鉢を落としてしまいました。急いで当たってけがをした人がいないか、サボテンは大丈夫なのかと確認しようと階段を駆け降ります。
あわてていたために階段を踏み外して足を捻挫してしまい、病院に何日か入院することになってしまいました。そこでとても素敵な看護師さんに出会い、恋愛をし、その後、結婚したとしましょう。そうすると、そのサボテンとの出会いから結婚に至るまでの「運命」が決まっていたことになります。
「運命」とは、本来「人との出会いによって運ばれてくる命題」を言いますが、広い意味では「生物1つひとつについて出会うこと」です。猫を拾ってきた、その猫との付き合いの結果として自分の人生がちょっとカーブを切った、新しい展開になったということもたくさんあります。
そう考えると、「人」だけでなく、「植物」に出会うことも、「動物」に出会うことも、もっと幅広く言うならば「鉱物」に出会うことも全部「出会い」ということになります。「それ」に出会ったことで、「運命」が少しずつカーブを切っていくのです。
すべてのできごとは、「ドミノ倒し」のように、どのピースがキーポイントになる大事なピースで、他はあまり大事なピースではない、ということはありません。どのピースでも、それが一つでも欠けたら、ドミノ倒しは成立しないからです。
これと同じように、サボテンの鉢植えも、階段を踏み外したことも、入院したことも、素敵な看護婦さんに出会ったことも、どれがいいとか、悪いとか、どこがキーポイントだったのか、枝葉だったのか、ということもありません。今に至るにはすべてが必要だったということです。
我々は、日常、これはたいしたことがないから手を抜こうとか、これは大事だから力を入れよう、と目の前のことにランクをつけ、扱いを変えています。しかし、どのピースもどの出来事も、欠かすことのできない大切なものだと思ったとき、目の前の一瞬一瞬や、一つひとつのできごとに心をこめ、丁寧ににやる必要があります。「小さなこと、ありふれたことに、大きな愛をこめること」だと思うのです。
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