日本一になるということ
今日のおすすめの一冊は、川内イオ氏の『1キロ100万円の塩をつくる』(ポプラ新書)です。本書と同名の題「1キロ100万円の塩をつくる」でブログを書きました。
「田野屋塩二郎」の佐藤京二郎さんのことが詳しく書いてあったので抜粋してシェアします。
1971年、東京で生まれた佐藤さん。塩に関係する家に生まれたわけでも、塩が特に好きだったわけでもない男が塩の道を選んだのは、「海」と「日本一」がキーワードだった。子どもの頃から「一番じゃなきゃ嫌」という性格。
さて、なんの仕事で日本一を狙おうか。サーフィンが趣味だから、海の近くでできる仕事がいい。思い浮かんだのが、塩の職人と漁師。消去法で選んだのが塩の職人だった。この時、佐藤さんは35歳。その時点で、塩についての知識は皆無だった。そこで「日本一になるためには日本一の職人のもとで学ぼう」と調べているうちに、ひとりの職人にたどり着いた。
高知県の黒潮町で完全天日塩をつくっていた吉田猛さんだ。どうしたら、弟子にしてもらえるか。「職人は面倒くさがりが多いから、電話をしてからではあっさり断られるに違いない」と予想した佐藤さんは、いきなり黒潮町に飛んだ。そして、吉田さんの製塩所にアポなし訪問し、顔を見るなり土下座した。
「弟子にしてください」しかし、吉田さんは佐藤さんを一瞥すると、一言も声をかけずに立ち去った。それが悔しくて、一度東京に戻ると、最初の接触から3日後、再び黒潮町に行った。「弟子にしてください」。結局、黒潮町にアパートを借り、住民票を移し、「無給でいいから、2年間、塩づくりを見させてください」と頼み、4回土下座し、ついに弟子入りが認められた。吉田さんにとって、初めての弟子だった。
塩が持つ力に魅せられた佐藤さんの胸のうちに、火がついた。吉田さんのもとでは、朝6時頃に仕事が始まり、15,16時頃に終わることが多かった。そこで佐藤さんは自主的に朝3時半には製塩所に出向き、トイレや部屋の掃除をした。薪風呂だったので、風呂を沸かすための薪割りも日課だった。
師匠と佐藤さんの関係は、独特だった。師匠が教えてくれたのは、基本的な作業だけ。そのあとは、「やってみなさい」と塩づくりを任された。佐藤さんも「聞いて覚えるより、自分で気づいたことのほうが身になる」と考え、必要最低限のことしか質問しなかった。仕事を終えるとアパートで2,3時間の仮眠をとって、工事現場で夜勤のアルバイトをした。
夜中の2時頃に帰宅して、3時半には製塩所に行くというハードな日々が続いた。お金がなかったわけではない。むしろ、それまでのショップ経営(サーフィンの)で貯金がかなりあったから、アルバイトをする必要はなかった。「追い込もうと思ったんですよ。自分を。ダラダラした時間が増えるとサーフィンに行きたくなるけど、波に乗るのは一人前になってからと決めてたんで、寝る時間だけの生活をしてやろうと思って。とにかく休みはいらないから毎日やらせてほしいってお願いしました」
修行を始めて一年が経った頃、佐藤さんに変化が起きた。「塩の声」が聞こえてきた。「人の手とか体温ってみんな違うんんで、誰かと同じようにやってもダメなんですよ。とにかく毎日来て、見よう見まねで塩に触る。そうするうちに突然、塩と喋れるようななってくるんですよ。急に自転車に乗れるようななった感じです」
極限まで指先の感覚を対象に集中することで、わずかな変化を察知し、身体が自然とその変化に対応できるようになる。そういう状態を指すのではないだろうか。「植物に話しかけると喜ぶっていうじゃないですか。そんな変なことを言うやつは気持ち悪いと思ってたんですけど、あながち間違いじゃないなって。もちろん人間の言葉で話しかけられるわけじゃないですけど、感覚的に喋ってる感覚というか、こうしてほしいと思ってるだろうという塩の気持ちはわかるようになりましたね」
そして、2年の修行の期間が過ぎ、独立するために様々な場所を探すが、なかなか見つからず田野でようやく受け入れてもらった。最初の一ヶ月、佐藤さんはビニールハウスで寝泊りした。寝る間を惜しんで作業をしていたわけではない。
「それまでとは違う土地で、違う海水ですからね。一緒に過ごして会話しなきゃいけない。まず心を許してもらおうということです。日中は普通に仕事をしていましたけど、夜はビニールハウスに布団を敷いて寝ました。塩の音を聞いたり、匂いを感じたくて」
「塩は生き物であり、僕の子どもです。常にそばにいて、なにかあった時はすぐに駆けつけるし、夜は静かに寝かせてあげなきゃいけません。だから、基本的に休みはないですね。夜、友だちと呑みに行っちゃうとか、塩を置いて出かけるとか、そんなことしてたら、一向に気を許してくれないですよ。塩には喜怒哀楽もあります。泣いている時は、優しくしてあげるとかそんな風に接してきました。だから、気に入らない人には売らない。お前のところにお嫁になんか出すか!って(笑)」
「たまには遊びに行きたくならないんですか?」と尋ねると、「なんないすね。塩の面倒見なきゃいけないんで」と即答された。塩を「つくる」のではなく、わが子のように手塩にかけて育て上げているのだ。
これほどまでにストイックな職人は他にあまり聞いたことがありません。自分を追い込み、「塩」と一体になり、そこに没入するという、スポーツでいう「ゾーン」に入っている状態です。今はやりの言葉でいうと「全集中」です。佐藤さんのあまりにすさまじい仕事ぶりに、ここまでやれば、さすがに神様も味方するだろうな、と感じました。そして、「日本一」になる人とはこのような人なんだろうな、と深く感じた次第です。
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