何を投げかけてきたか
今日のおすすめの一冊は、斎灯サトル氏の『正観さんのしあわせ絵言葉』(廣済堂出版)です。その中から「投げたものは返ってくるという法則」という題でブログを書きました。
「何を投げかけてきたか」という小林正観さんの素敵な話があったのでシェアします。
「人生つまらない。何をやってもつまらない。何をしても楽しくない。楽しいことなんか何一つない。だから死んじゃいたい」と相談に来た人がいました。私はそこで、「今まで投げかけをしてきましたか」と聞きました。これは今までに何人か同じような人がいたわけですが、いつも同じ質問をします。
「投げかけをしてきましたか」その人たちの答えはすべて同じものでした。えっ、と言うのです。「投げかけって何ですか」。それが共通の答えでした。「投げかけたことはないのですね」「投げかけなんてわかりません。どういう意味ですか」そこからすべての話が始まりました。
笑顔を投げかけた人は、倍の笑顔に囲まれます。不機嫌を投げかけてきた人は、倍の不機嫌に囲まれることになります。何も投げかけてこなかった人は、何も返ってきません。やさしさをたくさん投げかけた人は、たくさんのやさしさに囲まれます。温かいものをたくさんまわりに振りまいてきた人は、温かいものに囲まれることになります。投げかけたものに自分が囲まれるのです。
ここのところをずっと考えていくと、最終的には自分のためだということに気がつきます。世の中に喜ばれるように生きる。まわりの友人たちに喜ばれるように生きる。笑顔を投げかける。なるべく不機嫌を投げかけないというように生きていくことが、人格者として理想的な生き方としての話ではなくて、自分自身の損得勘定であるということに気がつきます。本当に損得がわかった人は、自分の人生を考える、つくり上げる上で、それが一番得だということがわかります。
笑顔を投げかけたほうが得なのです。自分にとって同じような笑顔に囲まれるのですから。やさしさを投げかけたほうが得なのです。やさしさに囲まれるようになるのですから。温かさを投げかけたほうがいいのです。温かさに囲まれることになるのですから。そういうものを理解し実践をしていくと、人生がどんどんラクで楽しいものになります。そういう意味で自分の人生をつくり上げることができます。
ただ、夢や希望を言って「神様、思うように叶えてください」と言うのは、この生き方と違います。夢や希望をぶつけるということは、今の生活が気に入らない。もっと何とかしろ。もっともっとほしい。もっと手に入れたいということにほかならないからです。笑顔を投げかける。今、幸せであるという言葉や概念を投げかける。それをまわりの人にたくさん示していく。その結果として、その人は、まわりに笑顔ややさしさに囲まれることになります。(啼かなくていいホトトギス/中経出版)
私たちは神社仏閣に行くと、よく願ってしまいます。願うということは、今の現状が不満だと神さまに文句を言っているようなものだ、と小林正観さんは言います。これは、天気に対してもそうです。雨がふっていて「今日はうっとうしい天気だなぁ」「雨が降って嫌だなぁ」「今日は寒くてやってられない」と言うことは天気に対して文句を言っていることになります。
神さまの立場になって考えてみればわかりますが、文句を言ったり、不機嫌な人を好きになることはありません。好きな人は「いつも感謝してくれる人」「ニコニコしている人」「機嫌のいい人」です。だから、好きな人の味方になってくれますが、嫌いな人はどんどん避けられてしまいます。これは、人でも神さまでも同じことです。
どんなときも、「感謝」や「お礼」や「笑顔」や「上機嫌」や「あたたかい言葉」をまわりに投げかける人でありたいものです。
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