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失っては困るものが大きな人は信用できる

今日のおすすめの一冊は、成毛眞氏の『情報を吐き出せ』(ポプラ新書)です。その中から「子どもに最も影響を与えるインプットは親の姿」という題でブログを書きました。

本書の中に「失っては困るものが大きな人は信用できる」という興味深い一節がありました。

面白い人とはどんどん付き合い、人に紹介もしていけばいい。 しかし、中には悪い奴、それも自分が悪い奴と自覚していない悪い奴もいて、 こういう人間のことをそれと見抜くのは難しい。なにせ、本人に悪いことをしているという自覚がなく、自分自身に自分自身を善人であると思い込ませているのだから、他人をそう思わせることなどたやすいのだろう。
なので、見ただけ、話を聞いただけではその人が信用に足るかどうかはわからない。わかるのはその人が、男女問わず、自分にとって好みのタイプかどうかだけである。 そこで、ほかの評価方法に頼ることになる。
私の場合はその人がどんなアセットを持っているかに注目している。 それはたとえば資格だ。 中にはトンデモもいるのだが、旧司法試験に合格した弁護士や、医師などは、その資格を得るためにそれなりに勉強をし、努力をしているはずだ。
そういう人が、私からたとえば100万円をだまし取ろうとするだろうか。 その確率はゼロではないと思う。しかし、それを盗ったことが世間に知られ、現在の職を失うようなリスクの高い行動を選択する人は、そう多くないと思うのだ。ただしもちろん例外はあるし、弁護士や医師は全員が人格者だと言いたいわけでもない。
人間関係もまた、失っては困るものだ。 人が人との約束を守るのは、それが当たり前でもあるし、約束を破ったことを吹聴されたくないからでもあるだろう。仕事であれば、どんなに嫌なものでも最後までやるという人は少なくないと思う。それは、投げ出したら信頼を失い、それを二度と取り戻せないとわかっているからだろう。
その意味で、自分の名前で、何年も仕事をしてきたような人は信頼できる。 もしもその人が仕事を途中で投げ出すような人なら、今日まで、その仕事で生計を成り立たせ続けることは、できなかったはずだからだ。
また、今からその立場を失いたくもないだろう。その仕事が、まったく新しい土地でもできるようなものならば、人を裏切っても新天地を求めればいいだけかもしれないが、案外と、そういう仕事は多くない。
その一方で、たとえば、50歳くらいの大企業の部長職にある人などについては、私は懐疑的に思っている。なぜなら、先が見えているからだ。経営陣候補になっているのなら話は別だ が、出世の芽がない、出向先もないといった状況に置かれているような人は、 危うい。
こういう人に限って、勝ち目の薄い一か八かの大勝負に出ることがある。それは「今を失ってもいい」と捨て鉢になっていないとできないことなので、その人を信用して付き合うかどうかは、慎重に判断する必要がある。

失うものが大きい人とは、たとえば、「会社を経営している人」「社会的立場のある人」「タレントや有名人」「政治家」等々の、信用がベースになっている有名な人です。つまり、何か変なことをしたらバッシングされてしてしまいます。

これはブランドビジネスと同じで、その人のブランドが失われるということです。そのブランドが大きければ大きいほど、失うものは大きいと言えます。

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