これ天意なり
今日のおすすめの一冊は、、神渡良平氏の『人を育てる道 伝説の教師徳永康起の生き方』(致知出版社)です。その中から「伝説の教師徳永康起の生き方」という題でブログを書きました。
本書の中にこんな一文があります。
徳永先生は何があっても「これ天意なり!」と受け止め、避けて通ることはされませんでした。恩師森先生もまったく同じ見解に立っておられ、こう述べておられます。「第一に『わが身にふりかかること、すべてこれ天意なり』。第二に『この世に両方いいことはない』。この二つの真理によって解決できないことはありません」
そして私たちに課せられている使命についてこう述べておられます。「私たち人間がこの世に生まれてきたのは、何かその人でなければできないような、ある使命を帯びてこの世に派遣されたものだといえます。私たちがこの地上に出現せしめられた意味を知るのは、一人ひとりの人間各自の責任であって、何ゆえこの地上に派遣されたかということを、多少ともわかりかけるには、相当に秀(すぐ)れた人でも、一応人生の半ばに近い歳月を要するでありましょう」
そして明言されました。「人間は一生のうちで、逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に…」この言葉には、私たちの人生を見守り導いてくださっている“天”に感謝して捧げられた森先生のすべてが集約されているように思います。徳永先生もまた絶妙のタイミングで森先生に出逢い、そしてかけがえのない子どもたちによっていっそう磨かれたのでした。
徳永康起先生が教室にいつも掲げてある言葉がありました。それが「自分を育てるものは自分である」です。また、「教え子みな吾が師なり」を信条として子どもの教育に身を捧げつくした不世出の教育者です。
森信三先生の「この世に両方いいことはない」とは、すべての物事は一長一短があり、両方いいということはないということです。裏があれば表があり、いいことがあれば悪いこともある、陰があれば陽もあるということですね。
「これ天意なり」とは目の前に起こった事象を、絶対肯定で受け止めるということです。すべて起こったことは必然であり、自分にとって必要なことだったと考えると、すべての事柄が磨き砂となるのだと思います。
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