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神さまからのメッセージ

今日のおすすめの一冊は、山崎拓巳氏の『世界一やさしい成功法則の本』(知的生きかた文庫)です。その中から「成功」の反対は?という題でブログを書きました。
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小林正観さんは「あたりまえ」についてこう語っています。(人生は4つの「おつきあい」/サンマーク出版)より

生れてからずっと目が見えいない人は、「1秒でもいい、いや0.1秒でもいいから、親の顔を見てみたい」「結婚した相手の顔を見てみたい」「子どもの顔を見てみたい」と思いながら生きているそうです。私たちは、0.1秒どころか、生まれてこのかた目が見えないことなどないにもかかわらず、目が見えるということに対して、感謝することなどまずありません。それどころか、「あれが欲しい」「これが欲しい」「あれをよこせ」「これをよこせ」と現状に対して不満ばかり口にしています。
私たちは小さい頃から、足りないものをリストアップして、それを手にいれなければ幸せになれないと教え込まれています。そのように洗脳されているのです。「自分がいかに恵まれているか」「自分がいかに幸せか」「自分がいかにありがたい状況に生きているか」ということに気づいたら、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の「五戒」など口から出てきません。
願いがかなったら、望んだものが手に入ったら感謝する、というのは、本当の感謝ではありません。何も要求することなく、不平不満を言うこともなく、いま目の前にあるものをありがたく味わう。それこそが、本当の「感謝」なのです。人は、自分がいかに幸せな状況のなかで生きているかに気がつきません。
かぜをひいて、丸1日何も食べられなかったら、かぜが治ったときに食べた1杯のおかゆがとてつもなくおいしく感じられるでしょう。元気いっぱいで毎日おいしいごちそうばかり食べていたら、おかゆのおいしさはなかなかわからないでしょう。では、かぜで丸1日食べられなかったことは、はたして不幸なことだったのでしょうか?そうとはいえないでしょう。その体験があったからおかゆのおいしさ(幸せ)を味わうことができたのです。
私たちが「幸せ」を感じるためには、その前には一般的に「つらい、苦しい、大変」といわれる状況が起こるようです。そういう構造になっている。そのことに気づいたら、私たちはつらいこと、苦しいこと、大変なことに遭遇したときも、一喜一憂せずに、平静な心でいられるかもしれません。

私たちは「あたりまえの日常」に感謝することを忘れてしまいます。しかし、病気になったり、ケガをしたり、つらいことに遭遇したときに、はじめてその「当たり前の日常」の幸せに気づきます。だから、時々、神さまがそのことを教えてくれるために、「つらい、苦しい、大変」なことが起こるのかもしれませんね。というか、「神さまからのメッセージ」そう思った方が心が楽になるような気がします。

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