不機嫌は伝染する
今日のおすすめの一冊は、辻秀一氏の『「与える人」が成果を得る』(ワニブックス)です。その中から『自分の「機嫌」に気づくこと』という題でブログを書きました。
本書の中に「機嫌の良くなる方法」についてこんなことが書いてありました。
自分から与える人と、与えられない人の違いは口グセに表れます。与えられない人の口グセは「何かいいことないかな」「あいつはいいよね」。特に、「何かいいことないかな」の口グセを私は「サンタ症候群」と呼んでいます。大人になればサンタクロースが架空であることは知っているのに、いつまでも「サンタさんがプレゼントを持ってきてくれたらな~」「サンタさんはいつ来るのかな~」とやっているわけです。自分から与えられない人ほど、サンタクロースが来ると思っています。
一方で、「与える」思考の人は、とにかく自分の心にフローな風が吹くような言葉を好みます。強調しておくと、人の気分を良くするための言葉ではなく、あくまで自分の心にフローな風が吹く言葉です。自分から与えようという思考の中でどんな言葉を使っていれば自分の機嫌が良くなるかという発想です。
たとえば、「得意」より「好き」。「得意」とは、人比べて決まる相対的なことです。自分では得意なつもりでも、広い世界にはもっと上手にやる人がたくさんいるでしょう。比較や優劣は、人を不安定にします。比べるクセのある人は、常に他人のことが気になって心が落ち着きません。
対する、「好き」は絶対的です。好きなものは好き。「好き」には比較も優劣もありません。ですから、カレーが大好きな人は、「カレー」と考えただけでご機嫌になります。実際にカレーを食べなくても、「カレーが好きだ」と考えるでけで機嫌が良くなってきます。好きなものや好きなことを考えると、無条件に気分が良くなる仕組みが脳には備わっているのです。
人の得意話を聞くと、何となく気分が悪くなるものです。一方、自分の好きなことを楽しそうに話しているのを聞くと、こちらも気分が良くなってきます。好きなものや好きなことの話は、話し手も聞き手もフローにするというわけです。
また、誰だって機嫌が悪い人とは、一緒にいたくありません。「不機嫌」はインフルエンザよりもタチの悪いウイルスみたいなものですから、自分の不機嫌をまき散らしている人は、周囲に不機嫌を感染させて組織やチーム、人間関係を崩壊させます。機嫌良く生きることは、世のため人のための最たることなのです。
ですから、不機嫌を引きずっている人は、目の前にいる人に対して責任を果たしていないことになります。どんなに性格が良くても、その人の機嫌が悪かったら一緒にいたくない。これは人間の法則です。逆に、いつでも機嫌良くいれば、あなたの周りには機嫌のいい人が集まってきてフローな好循環が生まれます。
もうひとつ、機嫌が悪いと人間の機能が下がるので、人と話したくないし、人の話も聞きたくなくなります。そんな状況では、もちろんいいコミュニケーションは生まれません。人と話すのが苦手だと思っている人は、自分の機嫌に注意を払ってみてください。もし、機嫌が良くて心が穏やかでも、人と話すことに苦手意識が芽生えると思いますか。
昔の成功モデルが通用しない時代になっています。検索して済むこともありますが、結局は人と人との関わりの中で常にコミュニケーションしながら気づきを得手、新しい感覚を自分に取り込んでいかないと生き残っていけません。そのためには、自分が機嫌良くいることです。自分の機嫌を自分で取ることの価値を重んじて、フローな自分で機能を高めておけばコミュニケーション能力も上がり、円滑な人間関係を築いていくことができるでしょう。
ツイてる人は、自分で自分の「機嫌」をとることができます。自分の「機嫌」をとることができる人は、どんなに嫌なことがあってもそこにいいところを見つけることができる人です。相手がどんなに不愉快な人であっても、それに惑わされず、すぐに気持ちを切り替えることができ、嫌な気持ちを引きずることがない人でもあります。
「こんなひどいことを言われた」とふさぎこむ人もいますが、同じ事を言われてもそれをさらっと受け流し、自分は傷つかない人もいます。つまり、自分の「機嫌」は、相手の問題ではなく、全て自分の問題であり、受け取り方ひとつだということです。すべては受け取り方次第、見方次第、考え方次第です。
詩人のゲーテは「人間の最大の罪は不機嫌である」と言いました。不機嫌は伝染するといいます。だから、不機嫌な人が一人いると、次から次へと不機嫌な人をつくってしまいます。逆に言うなら、「上機嫌」も伝染します。だからこそ、機嫌よくいることが今かに大事かということです。コロナ禍で、世の中が暗くなればなるほど、不安になればなるほど、たった一人の機嫌のよい人が世の中を明るくするということですね。
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