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自分の実力を上げること

今日のおすすめの一冊は、田口佳史(よしふみ)氏の『超訳 老子の言葉』(三笠書房)です。その中から「本質をしっかり見つめる」という題でブログを書きました。

本書の中に「自分の実力を上げる」という心に響く一節がありました。

《兵は不祥の器(き)、君子の器(き)に非ず。 已(や)むを得ずして之を用うるも、恬淡(てんたん)を上と為す。》(偃武第三十一)
『どうしても争わなければならなくとも、勝ち負けに執着してはならない。勝って快感を覚えたってしょうがない。争っている暇があったら、実力を磨きなさい。戦う相手は「昨日の自分」なのだ。』
戦争の無意味さ、つまり「不争」を説いたこのくだりは、競争社会に置き換えて読 むといいでしょう。 ビジネスマンの多くは、ライバルよりいい結果を出そう、競争に勝ち抜こうと遮二 無二仕事をしていますね。 でも、老子は人と争うこと自体が無意味だとしています。
ただし、「争わずに勝て」とも言っていません。勝ち負けに執着して情熱を燃やしたり、勝って快哉を叫んだりしたところで、何もいいことはないと言うのです。 たしかに、争いはエネルギーをかなり消耗します。ほかのことは何も手につかず、頭の中が勝ち負けのことでいっぱいになってしまいます。 しかも、争って勝ったからといって、また新たな争いに巻き込まれるだけで、あまりいいことはありません。
「争ってる暇があったら、そんなにエネルギーと時間があり余っているなら、自分の実力を上げることに集中したらどうだい?」 これが、老子のメッセージです。 「実力を上げる」とは、言い換えれば、「昨日の自分」と戦うこと。昨日より今日、 今日より明日と実力を上げていく気持ちを持つことが大切です。


相手がいようといまいと、競争であろうとなかろうと、どんなときでも、「自分を高めること」「自分の実力を上げていくこと」しか努力の方向はありません。そうでなければ、相手の失敗を願うとか、勝つための小賢しいテクニックを磨くとか、というような本質的な方向とは、ずれた努力をするようになっていましまいます。

人のことはどうでもいいのです。まず、自分の実力を上げること、そのための勉強と努力を重ねること、それこそが根本的で本質的な努力だと思うのです。

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