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みんなが右に行ったら

今日のおすすめの一冊は、曽野綾子氏の『思い通りにいかないから人生は面白い』(三笠書房)です。その中から「読書は含みのあるいい人間をつくる」という題でブログを書きました。

本書の中に「みんなが右に行ったら、あえて左に行く」という一節がありました。

まわりに合わせたがるというのは、一番卑屈な精神のように思えます。人と同じ行動に走ることは、お祭り騒ぎに似た楽しさや、流行に遅れなかったという安心感はあるでしょう。しかし私には、付和雷同するという勇気のなさを示していてもっとも魅力がないものに映ります。
もっと言えば、流行を追って自分もついでにいいことにありつこうとするさもしい計算の結果にも見えて、私はそういう人とケンカもしないけ れど、ほんとうの親友にはなれませんでした。
毎年、就職希望の人気企業ランキングを目にするたびに情けなくなることもありますね。数年前まで一番勤めたい企業は、日本航空や東京電力(東電)でした。しかし、 今や見向きもされない。日本航空は黒字になったから、また人気が出るかもしれません。そんな軽薄な学生は私がそうした会社のCEOだったら採りたくありませんけど ね。
ほんとうのことを言うと、俗に「出世」をしたければ、現在人気のない会社に就職すればいいんです。運命は振り子のようなもので、今上がっている運は、もう下がるほかありませんけど、逆に今、運が下がりぎみの道を選べば、そのうち上昇気流に乗る可能性もあるでしょう。
第一、競争相手が多かったら、普通の才能では芽が出ません。人と同じことをしたがるから競争が激しくなって、自分は重用されていないと思い、その結果精神を病んだり命を縮めたりするんですね。人があまり行かない方角へ行き、人が望まないこと を志願すれば、競争もなく、楽に自分を発揮できる。これが私の勧める「大穴狙い」です。
生き延びるために行きたくない道を歩け、と言うのではありません。何でもいいから大勢とはとにかく反対の方角で、しかも少し自分が好きなことをできたら、確実に生きられるだろう、と思いますね。
人間は思いのほか、流行に動かされているものです。しかし冷静に考えてみると、 「自分は、ほんとうはそんなことを望んでいなかったんだ」とわかってきたり、逆に思いがけなくこういうことも好きだったのか、と自分を発見したりする。世間の評判や人気に関係なく、その人が持っている才能や性格にもっとも合った仕事を見つけな いとダメなんですね。
自分が好きになって選んだ仕事を英語で「vocation」(ヴォケーション)と言いま すが、それは「神さまがその人に命じた使命、天職」という意味でもあるんです。他の人間が理解しようがしなかろうが、神が自分にとって一番いい仕事をお与えになったのだから、それはすばらしいものだ、という認識があるわけです。
「vocation」であれば、たとえばパン屋の職人なら、一生おいしいパンを焼き続けて、実に多くの人々に幸せを与える。そのことを感謝して、胸を張って死ぬことができるんですね。 しかし、日本人は職業や就職の先を、自分が満たされるかどうかより、他人がそれをどう思うかで決める場合が多いから、一向に満たされない。
常に時流に乗った会社を選ぶことは事実上できないんです。またそういう精神では、常に不満がつきまとうのは当然でしょう。
「丁字路で、みんなが右へ行ったら、左へ行っておきなさい」と、私は子供の時、母から教わりました。大した才能はないのだから、みんなの行くほうへ行くと競争の中で生きていけない。そんなことをして人の波に巻き込まれたら、踏みつぶされて死ぬ羽目になる、ということなんでしょうね。
大勢の行くほうへ行く、つまり流行を追うということは、精神か肉体の命取りになることさえあるということです。

投資の有名な格言に「人の行く裏に道あり花の山」というものがあります。多くの人が行かない裏道に意外な花見の場所がある、宝が眠っている、ということです。多くの日本人は「みんながやるから」「みんな一緒」という波風を立てない生き方をしてきました。価値観が同じことを尊ぶ文化です。

しかし、会社でいうなら、「みんな揃って」は命取りになります。同じようなデザインで、同じような価格帯で、同じような商品(材料、作り方、機能性)だったら、後発で弱小の会社は絶対に売れません。すべてにわたって差別化が求められるのです。

人も同じで、すべてにわたって、みんなと同じだったら、その人の存在価値は限りなく薄くなります。どこか飛びぬけているから、尖っているからこそ、その人の存在感が出てきます。だからこそ、「みんなが右に行ったら、左に行く」という感覚はとても大事だと思うのです。

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