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幸も不幸も存在しない

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『小林正観さんの 心がすーっと晴れていく言葉』(主婦の友社)です。この中から「執着をなくすためには」という題でブログを書きました。

本書の中に『「幸」も「不幸」も存在しない』という心に響く言葉がありました。

《「幸」も「不幸」も存在しない。 そう思う自分の心があるだけ。》
すべての人が指をさして「これが幸せだ」と言えるものが、この世にはあるでしょうか。 たとえば、Aさんが「幸せだ」と言っても、ほかの人は「幸せではない」と言うかもしれません。すべての人が絶対的な価値を持って「幸せだ」と思えるものは、地球上には存在しない――それが唯物論者の私の結論です。
たとえば、仲間たちと一緒に食事をしたり何かを見たり聞いたりしたときに、そこで「幸せ」を感じるというのは、その人にそう感じる「心」があるからでしょう。 「幸せ」は感じた人にのみ、そこに存在する。感じた人にのみ「幸せ」が生まれる、という構造になっています。
同様に、「不幸」というものも、現象も、この世には存在しません。たとえどんなにお金持ちで恵まれた環境にいる人でも、本人が「不幸だ」と思えば、 それは「不幸な」ことになります。逆にものやお金がなくても、状況や環境がほかの人から見てひどいものであっても、本人が「幸せ」を感じていれば、それが幸せになるのです。
「幸」も「不幸」も存在しない。それは他人が決めることでも外的なもので決まるのでもなく、その人自身の「心」が決めているのです。

いやいや、いくらそう言っても、世の中には、誰が見ても不幸だという現象があるでしょう、という反論がありそうです。しかし、そうであったとしても、その中に幸せを見つけることができる人はいます。

幸福や不幸は、この世に存在するものではなく、自分が見つけるものであり、自分が決めることだからです。それは、幸や不幸だけでなく、「勝ちも負け」も、「楽しいも苦しい」も、「成功も失敗」も同じで、すべて自分が決めているということです。

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