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考えすぎずに行動する

今日のおすすめの一冊は、マーク・ネポ氏の『「自分を変える」心の磨き方』(三笠書房)です。その中から「学びは必要なときにやってくる」という題でブログを書きました。

本書の中に「考えすぎずに行動する」という心に響く文章がありました。

二人の科学者が、ヒンドゥー教の聖者に自分たちの理論をどう思うかを尋ねるために、地球を半周して会いに行った。 到着すると、聖者は喜んで二人を自分の庭園に案内し、茶を振る舞おうとした。 

二つの小さなカップがいっぱいになっても、聖者は茶を注ぎ続けた。 茶がカップからあふれ出したので、科学者は礼儀正しく、しかしおずおずと「師よ、カップにはそれ以上お茶は入りません」と言った。 

聖者は茶を注ぐのをやめ、こう言った。 「あなた方の頭はこのカップのようだ。 知識で満杯になっておる。 頭を空っぽにして、もう一度来なさい。 それから話をしよう」 (リロイ・リトル・ベア 北米の先住民文化教授) 

口説き文句を覚えたからといって、情熱的だというわけではありません。 偉大なカナダ人の学者ノースロップ・フライは、空気力学の原理を理解しているからといって、飛行体験とは何の関係もない、と指摘しています。 

生活の中で感動することが少なかったり、あるいは、自分が知っていることと実際の自分自身との間にギャップがあるならば、それは、あなたの頭が、聖者のティーカップのように、満杯になっているのです。 

情熱は知恵ではありません。 頭は偉大でかけがえのない道具ではありますが、知識を蓄えても感じることはできませんし、分類はできても真に理解することはできません。 ビーバーのように、重要なものを集めてダムをつくれるだけです。 

口に食べ物がいっぱい詰まっていては話ができないように、消化できない情報が詰まった頭で、物事をありありと感じることなんてできるわけがありません。 では、どうすればいいのでしょう。 

それは、考えすぎないことです。 情報を溜め込んだりしないことです。 疑いばかりを再生しないことです。 やらなければならないことが際限なく挙がっているリストの中から、一番重要なものを選び、リストを破り捨てたあとで、それをきちんとやり遂げることです。 

◆深く考えない方法はいくつかある。一つは物事をゲームのように考えること。ゲームは思い通りにうまくいかないから何度でもやりたくなるし、それが苦痛ではなく楽しみとなる。

目くじらを立て、決死の覚悟でやると「真剣」ではなく、「深刻」となってしまう。一度きりの生き死にをかけた真剣勝負だ、と思ったら怖くて行動できなくなる。

また、もう一つは、失敗することを怖れないこと。失敗し慣れている人は、「失敗しても勉強だと思えばいい」とか、「また失敗しちゃった。よし、もう一回!」などと失敗を楽しむことができる「成功へのハードルを低くできる人」だ。

絶対に失敗できない、と思ったら考えすぎて一歩も前に進むことはできない。「人生は冥途(めいど)までの暇つぶし」(今東光)と、ニヤリと笑って、面白おかしく、軽やかに生きる生き方だ。

どっちに転んでも、失敗するときは失敗し、うまくいくときはうまくいく。あまり深く考えないことだ。考えすぎず、行動する人でありたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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