今こそ、「忘」と「捨」の時代
今日のおすすめの一冊は、本田健氏の『仕事消滅時代の新しい生き方』(プレジデント社)です。その中から「唯一生き残れるのは、変化できる人」という題でブログを書きました。
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感性哲学の行徳哲男師は「変化」についてこう語っています。
変化は加速する。いまや十年一昔などあり得ない。一年一昔、いや一ヶ月一昔、十日一昔と言ってもいい。このような激変の時代に対応するには「今泣いた烏(からす)がもう笑う」子どものようなしなやかさで臨まなくてはならない。禅的な境地が必要だ。それが変化の加速を見事に捉(とら)え切る秘訣(ひけつ)である。
変化は断続する。切断されているから至るところに崖がある。だから、いつでも身軽に翔(と)べることが大事である。このような時代に重い荷物を持っていては翔べはしない。ゆえに、いろいろな持ち物を捨てたり忘れたりすることが必要である。これからは「忘」と「捨」の時代である。(感奮語録/致知出版)より
子どもはとらわれがありません。おもちゃを買って欲しいと大泣きをしていた子どもが、買ってもらった途端にニコニコするということがよくあります。「今泣いた烏がもう笑う」です。大人は、ささいなことで言い争いになり、そのあと仲直りの機会があったとしても、いつまでもギクシャクしてニコニコできなかったりします。
もう終わってしまった過去を引きずってしまうということです。子どものようになかなか気持ちの切り替えができないんですね。しなやかな感性が失われている、ということも言えます。だから、いつの時代も、若者たちから大変革は始まるのです。これをトーマス・クーンは、パラダイムシフトと言いました。
世界をひっくり返すようなパラダイムシフトは、「世代交代」しなければ起こりません。たとえば、天動説を信じる古い世代の大人たちは、どんなに新しい事実をつきつけても変わらなかったと言います。コペルニクスの地動説が受け入れられたのは、その古い世代が亡くなって1世紀近くたってからです。
昨日と今日が連続しないこと、谷や深いクレバスのように断絶しているものを大変化といいます。昨日と今日がまったく違う風景になるわけです。まさに、コロナ前とコロナ後の状況です。クレバスを飛び越えるには、重たい荷物を持っていてはジャンプして飛べません。それを、行徳師は「忘」と「捨」と言っています。
古い世代の大人は、自分が「過去にとらわれていないか」「若い世代を否定していないか」そして、「若者たちの足を引っぱっていないか」という問いを、常に自分自身に突きつける必要があると思います。
今こそ、「忘」と「捨」の時代です。
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