自分のことよりも、先ず周りの幸せを
今日のおすすめの一冊は、葉室頼昭(はむろよりあき)氏の『神道と《うつくしび》』(春秋社)です。その中から「神仏に面(おもて)を向ける」という題でブログを書きました。
本書の中に「自分のことよりも、先ず周りの幸せを考える」という心に響く一節がありました。
神社では、とくに六月と十二月の晦日には、大祓式というお祭りが行われます。これは「大きな祓い」と書きますが、この「大」というのは「公」という意味です。祓いというのは、個人の祓いには違いないけれども、それだけではなく、国全体を祓うという大きな発想のもとに行われているのが大祓です。
日本人というのは、個人の祓いというよりも、国全体を祓うことによって、みんなの幸せがあるという、人間本来の考え方をしてきたのです。しかし、今は国のことよりも個人の幸せということを第一に考えるようになっていますが、これは逆だと思うのです。国の幸せがあってこそ、国民の幸せがあるのです。
国のことを考えないで、国民の幸せというのは存在しない。これは本当のことだと思うのです。それをやっているのが大祓式という神事です。ですから日本人は、まず国の幸せ、周囲の人々の幸せということを考える。それが自分の幸せにつながると考えて生活してきた民族なのです。
「はたらく」という言葉があります。外国人の考えでは、働くことは「労働」ということになりますが、日本人は「労働」という考え方をしてきませんでした。働くというのは、「はた」つまり周囲の人々を、「らく」つまり楽にする。周りの人を幸せにするということが、日本人の「はたらく」ということなのです。自分のことよりも、先ず周りの幸せを考える。これはすばらしい生き方だと思います。
春日大社で、毎年十二月十七日に行なわれる春日若宮おん祭という大きなお祭りがあります。そこで神さまに奉納される細男(せいのう)という舞があります。 戦争をしますと、どこの国でも自国の戦没者の慰霊を行ないますが、この細男という舞は、相手(敵)の戦死者を弔う祭りの舞です。
日本人は、先ず敵の戦死者があの世で弔われてはじめて、味方の戦死者の黄泉の国での幸せが表れると考えていたのです。そして黄泉の国におられる死者および祖先たちの幸せがあってはじめて、われわれの幸せがあると考えて今まで生活してきました。
ところが、それなのに今は逆をやっているでしょう。祖先よりも、生きている者の幸せを先に考えるから間違ってくるのです。本来、何でも神さまと祖先のことを第一にするというのが日本人の生き方であり、これが本当の人間の生き方ではないかと思います。
小林正観さんの「自分の夢や希望ではなく、周りの人に利益を」という心に響く一節があります。(心に響いた珠玉のことば/KKベストセラーズ)より
仏教の中に「利行摂(りぎょうしょう)」という言葉があります。自分の行ないによって周りの人を富み栄えさせること、周りの人に利益を与えることです。私たちは自分の夢や希望を持ち、何か目標をうち立て、そこに向かって努力邁進するということを教え込まれました。
夢と希望はあくまでも自分の夢と希望であって、他人を利させる、他人を富み栄えさせるなどという思想は、学校教育の中ではほとんど教わりませんでした。しかし、この利行には、実は隠されたすごい効果があるのです。
自分の店を持ちたいのだけれども、十年ぐらいそのように努力をしているのだけれども、なかなか店が持てない。どうしたらいいのだろうか、というふうに質問してきた人がいました。
「自分の夢を叶えたい、自分の思いを叶えたいという話ですよね」と、私は苦笑いをして、「周りの人を潤わせてあげようと考えたことがありますか」という質問をしました。「えっ」という答えが返ってきました。もちろん、そんなことは考えたことがないということでした。
「そうですよね。自分の夢や希望を実現しなさい。そのために努力して頑張りなさい、としか教え込まれてきませんでしたものね」と笑いました。「周りの人を潤わせること、周りの人に利を与えること、そういうことを考えたら、結果的に自分のほうにそれが戻ってくるみたいですよ」という話をしたところ、それ以降その人は別人になりました。
明るい色の服を着て、明るい顔でとても気持ちよく笑う。周りの人がとても明るい気持ちになるような笑顔の素敵な人になりました。
まさに、神道における「はたを楽にする」や「細男(せいのう)」についての考え方と同じです。現代は、自分の利益、自分の幸せが優先されます。それが「人はどうなってもいい」「自分さえよければいい」という傲慢な考えに行きつきます。
「誰かのために生きてこそ、人生には価値がある」と言ったのはアインシュタイン。「自分の夢や希望の実現ではなく、周りの人に利益を与える人生」でありたいと思います。
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