ボーッとすることは最強
今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『この世の悩みがゼロになる』(大和書房)です。その中から「二つの特別日」という題でブログを書きました。
本書の中に「ボーッとすることは最強」という興味深い一節がありました。
強靭な精神力とは、「ボーッとすること」「ピリピリしないこと」という話を以前本に書きました。「ニコニコしているのは難しいのですが」とか、「子どもに対してイライラしたくないけれど、ついイライラしてしまう。どうしたらいいですか」という質問をよく受けます。
しかしそういう質問をすること自体、どこかがおかしい。イライラしてしまうのは誰ですか?イライラしないですむのは誰ですか?「私です」「じゃあ他人にはどうしようもありませんね」というのが私の答え。
私は、優しい母親になってくださいとお願いしているのではありません。単に仕組みを話しているだけです。自分の考えや行動を改めるつもりはないけど、不愉快な部分だけ取り去ってほしいというのは無理な要求。自分が自分を律するしかない。第三者には何もできない。
「腹を立てるのが好きで、周りや子どもに背かれるのが好きならどうぞ」と言うしかありません。「強靭な精神力」を持つには、「ボーッとすること」です。「神経を張りつめて何ものもはね返すこと」ではないのです。
ガードをすることでもなく、自分の周りを自分の好みどおりにつくり変えることもない。闘って状況を変えることが“強靭”なのではない。傷つきたくなくて、ガードしている人は、弱いのかもしれません。バカにされても、傷つかない人が、一番強い。
メンツ、プライドを傷つけられても、笑っていられるのが強い人であり、そのためには損得勘定で、一喜一憂しない自分になればよいのです。
孫子の兵法に、「百戦百勝は、最善なるものにあらず」というものがあります。なぜ百回も戦うのか。賢い武将は一度も戦わない。本当に優れた武将とは、敵をつくらず、一度も戦わない人のこと。
ピンと張っている糸は、刀で簡単に切ることができますが、だらんとしている糸を刀で切ることはできないのと同じです。ちゃんとしなきゃ、と思っている人は、実は弱いのです。誰かに何か言われるとすぐにつらくなって落ち込んでしまう。
徳哲男師は、人間の魅力は「素・朴・愚・拙」の四つの言葉で表すことができる、といいます。素とは、飾らない魅力です。朴とは、泥臭い朴訥とした魅力。愚とは、自分を飾らずバカになれる魅力。拙とは、不器用でヘタクソだが一途な魅力のことです。
「素朴愚拙」の人は、ボーッとしていて、時に間抜けな愚か者のようにも見えます。本当に強い人は、いつもハリネズミのようにピンと神経を張りつめ、戦いにあけくれる剛(ごう)の人ではなく、どんな非難や攻撃も、フラフラ、ヒョロヒョロと受け流すボーッとした柔(じゅう)の人です。
剛ではなく「柔」。鋭ではなく「鈍」。賢ではなく「愚」。周囲と闘っても、まわりの人を変えることはできません。時に、ボーッとすることも必要です。
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