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一輪の花のように

今日のおすすめの一冊は、渡辺和子氏の『あなただけの人生をどう生きるか』(ちくまプリマ―新書)です。その中から「一つひとつに心をこめること」という題でブログを書きました。

本書の中に、「一輪の花のように」という心に響く文章がありました。

「花の人生」という言葉を聞けばすぐ思い浮かべるのは、華やかなバラ色の生活かも知れません。しかしながら、むしろその同じ言葉から、一人ひとりの人生は一輪の花にたとえられる、と私が思い始めたのは、今から約十五、六年ほど前に、一つの詩をいただいたことによります。

その詩には、こういうことが書いてありました。 

神さまが植えてくださったところで咲きなさい。仕方がないとあきらめてでなく、咲くのです。咲くということは、自分が幸せになるとともに、他人をも幸せにする生き方です。咲くということは、苦しみの中で、むしろ苦しいからこそ、ほほえみを忘れずに生きることです。神さまが私をここに置いてくださったということは、誠にすばらしいこと、ありがたいことだということをあなたのすべてが語っていることなのです

英語で書かれていた詩はこのような意味を持っていました。 私も一人ひとりは花として生きたらいいと思います。小さい花、大きい花、早咲き、遅咲き、色とりどり、店頭に飾られて高く売られる花、豪華なパーティーに飾られる花があるかと思えば、ひそやかに、つつましく一生を終える花も多くあります。 

自分が願ったとおりの場所に植えていただいて一生を過ごすことのできる花もあれば、自分が望みもしなかった場所に植えられたり、移し替えられたりして一生を過ごす花もあることでしょう。 

もっと日当たりのいいところだったら、大きく咲けるのに、風当たりの少ないところだったら、すなおに、真っすぐに育つのに、あの邪魔ものがなければ、すくすくと伸びるのに、広々としたところならと、こんな思いが、私たちの一生の中には心をよぎることが何度もあります。

そんな時に思い出してほしいのは、花にとって一番たいせつなのは、どこで咲くかではなくて、またはほかの花と自分を比べて見劣りがするか、または見栄えがするか、そんなことではなくて、咲くということです。自分にしか咲かせられない花を、神さまが置いてくださったところで懸命に精一杯咲かせるということです。

◆進学、就職、結婚、健康、お金、人間関係、会社等々、人生は事(こと)志と違って、うまくいかないことも多い。しかし、大事なことは、うまくいかなかったときの対処の仕方だ。不平不満や文句を言ったり、人のせいにしたりしているうちは、事態はなんら変わらない。

どうにもならないような絶望的な時、そこに一筋の光を見出すことができる人は、いつか人生の花も咲かせることができる。人生は、見方一つ、考え方一つで幸せにも不幸せにもなるからだ。

蒔(ま)かれた種は、文句を言わず、その場でただひたすら咲くしかない。置かれた場所で咲く花は強く美しい

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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